ただ与えるのが悦び

 生長の家では「人に褒められようとするのではなくて神に褒められようと思え。」と言う教えがある。山奥に咲く百合は人から観賞される事を目的にしているのではなくて、ただ内側からの生命の発露、悦びのままに咲くのである。同様に神は吾々人間を一から十まで完璧に生かしておきながら、その見返りを求める事は無い。ただひたすら生かして下さっているのである。

 だから、吾等も自分が他の人又は団体に何か貢献したとしてもその見返りを求めてはいけないのである。ただ、そうする事が嬉しいから貢献するのである。ただ与えるそれが嬉しいのが神である。なれば神の子である吾等もその如く、ただ与える事を悦びとして、生きるべきである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-07-22 12:26 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/10013667
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by なおちやん at 2009-07-23 11:36 x
『与えよされれば与えられん』の真理ですな。byeなおちやん
Commented by koujihori at 2009-07-23 11:39
なおちゃん

 なおちゃんにしてはまともなコメントですね。下ネタよりずっといいです。僕も実はエッチな事が嫌いではないんですが下ネタって汚い感じがするんですよ。
<< 先祖供養 試行錯誤は内側の宝を発見する課... >>