完全な全託こそが信仰である。

 信仰では「全託」と言う事が大事なのである。全託とは神への全託である。それには正しい信仰を持つ必要がある。それは神というものはどういうものかと言う知的理解が先ず必要である。先日もある方が「真理を理論的に分かる」事が大事であるという旨のコメントをされていたが、正にその通りであって、信仰するには先ず、神というものを正しく知的に理解する事が大事である。

 神とは完全円満であり、無限力であり、同時に無限の智恵であり、無限の愛であり、無限の調和であり、無限の供給であり、無限の悦びである。およそ、この世界の事を指す言葉では表現しきれない程の無限に素晴らしい御存在が神である。そして、それは無限であるから形が無い。無限であるから、全宇宙の隅々まで行き渡っていて、限りがない。神のいらっしゃらない所などどこにも無いのである。

 だから、吾等は常に神に生かされ、神に守られているのであり、全ての事は自ずと成就し、運行するのである。その辺りの事を先ず知的に理解し、そして、その神への全託の心になる事が大事である。そうなる為の修行として、生長の家を勉強し、行ずるという事が必要になって来る。

 神に全託するとは本当に全託するという事である。この部分は私がやらなくてはならないとかそういうものではないのである。全託とは本当の全託である。
 神に生かされていると言う事は自分の人生全て神に生かされた、守られた、導かれたものであるという事である。私は要らないと言う事である。生理作用は始め、自分の仕事、生長の家の活動、趣味、家庭生活、結婚等々全部、神に導かれ、生かされているのである。神に全託するという事は我(が)が全託しよう、全託しようとしても仕方の無い事である。神に全託するという事は自分の人生全て、このままで神の生即ち神生であったと悟る事である。今まで自分で生きてきた、決めてきたと思っていた自分の人生がそうではなくて、全部神に生かされ、決められ、導かれた生であったと目覚める事である。要するに「そのままでよい」と言う事に目覚める事である。
 神に生かされていたという事に目覚める事が全託であり、その時、大安心の心が生まれ、全身の余計な力が抜けて、神に生かされていた気持ちよさに全身包まれ、そして、文字通り全託の心で安心して夜もぐっすり眠れるというものである。それに引き替え、自分で生きているという思い、即ち「自分が、オレが」という思いが我(が)であり、それが不安の心である。

 そして、その全託の心はどこから出て来るかと言ったら、吾々の中から自分で出て来るのである。全託の心こそは悟りであり、悟りこそは実相顕現の事である。即ち既にそのままで完全円満の吾等の実相生命は自己表現の為に自分で出て来る。その自分で出て来た事が悟りであり、全託の心の目覚めであり、その過程が吾等の実相顕現の過程であり、その初期においては我(が)の心で散々苦しみ、悩み、病気になったりする事もある。しかし、そうした中で生長の家を諦めないで一所懸命やる事により、突如自ずと全託の心に目覚め、そして、先日の私の様に失敗を恐れないで思い切ってやるという心が自ずと出て来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-07-28 12:58 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by ふじおか at 2009-07-28 21:08 x
善なる神に全託する。   
苦しみ 障害 病気になったとしても必ず良くなるのだという想いを持つことが大事ですよね。

私はすぐ不安な心を持つ性格なので貴方のメッセージにはいつも励まされております。


Commented by koujihori at 2009-07-29 08:44
ふじおか様

 コメント有り難うございます。不安な心は大安心の心の出て来る前触れです。信仰は自分で支えるものではなくて神により支えて頂くものだとは私の師の榎本恵吾先生の教えです。
Commented by yukio aono at 2009-07-29 09:51 x
合掌 ありがとうございます。    生かされていることに感謝

 >全託とは神への全託である。
 >それには正しい信仰を持つ必要がある。
 >神に全託するという事は自分の人生全て、このままで神の生
 >即ち、神生であったと悟る事である。
 >全託の心こそは悟りであり、悟りこそは実相顕現の事である。

 文面の通り、知ることから始まりました。今までの、うん十年、
忘れていると言うより、考えも思いもしていませんでした。また、
それらを知らないのですから、行動のすべては、私がやっている
ことのように思っていましたし、神を念うなど、習慣にもなりせん
でしたから、信仰と云うことなど、ほど遠いものがありました。
 しかし、堀 先生のブログに逢ってから、ブログの文章は、
真理の光となって、私の心を輝かせてくれています。
本当にありがとうございます。
                         敬礼

Commented by koujihori at 2009-07-29 15:09
aono様

 いつも本当に有り難うございます。私が生きていたという思いから神に生かされていたと気づく事が信仰の全てですね。そうなると全託であり、この上なく楽と言う事になりますね。信仰って固い窮屈な生き方みたいに思う人が多いですが、これこそ自由自在かつ大安心のそのままのとにかく本当に嬉しい自分らしくなれる生き方ですね。
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