今、無限力であるという自覚はがつがつしない事

 全託とは今、このままで神に生かされているという自覚であり、それはすぐに結果を求める心ではないのである。すぐに良くしよう、分かろうというのは我(が)である。それは実相、神の国を自分の外に求める行為である。今、このままで神に生かされ無限力、完全円満という自覚であれば、すぐに結果を出そうとか実力を出そうとか良くなろうなんて考えず、神が丁度良い時期に結果を出して下さる事を待てるのである。自分に何が出来て、何が分かる様になるかは神に全託しているからである。

 今既にこのままで完全円満、無限力であるという自覚は却って、神が一番良い時期に結果を出して下さるという事を待てる心である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-07-29 12:38 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by シコク嫁 at 2009-07-29 15:29 x
ありがとうございます。今日の御文章もストライク、直球ど真ん中でした。短い中に端的な表現、気持ちがスカッといたしました。
>>すぐに良くしよう、分かろうというのは我(が)である。。。。うわ〜〜うわ〜〜そうだったんだ〜〜〜。
>>それは実相、神の国を自分の外に求める行為である。。。なるほど〜。ありがとうございます。目からまたまたウロコが落ちました。爽やかな気分です。
Commented by 山崎 at 2009-07-30 00:07 x
合掌、ありがとうございます。
僕のブログを見てくださり、また的確なアドバイスも大変感謝しております^^
待つということは特に僕のような若い世代には難しいことです。すぐに結果を望み、無駄を嫌い合理的に物事が運ぶことに悦びを感じる僕などには特にです。自分のベストな時が死ぬ間際だったりと思うと冷や汗物です^^;
それでも常に神の子の自覚を持っていたいものです。
ありがとうございました。
再拝
Commented by koujihori at 2009-07-30 09:22
シコク嫁様

 コメント有り難うございました。僕は最近、自分は本当に我(が)が強かったんだなと再認識しました。それは自分で生きているって言う感覚なんですよね。そうなると自分のやった事は正しかったのかどうかなんて頭でくさくさ考えますから、神経を酷使しますよね。

 神に生かされた人生であったと分かれば、本当にゆったりした心になり、全てに自信が出来、何も良くしようとか分かろうとかして神経を酷使する事が無くなるのですね。
Commented by koujihori at 2009-07-30 09:25
山崎様

 コメント有り難うございました。まあ、簡単に言えば「あわてる乞食はもらいが少ない」って事じゃないでしょうか?

 でも、待つって事は「何もしない」って事でもないんですよね。「そのまま」にして内から神の催すままに動く、そして結果は求めない・・・そんな所でしょうか?
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