病気はナイ

 吾々はともすれば、自分の信仰で病気を治そうとする傾向があるのである。この病気は自分のこの頑なな頑固な心が原因だから、それを出来るだけ柔らかくして、自分で問題をつかまないで全託して、全身の力を抜いて等々考えて、一所懸命、自分の心を良い状態にしようとして、病気を克服しようとしている。

 しかし、こういう状態はある段階までは効果があるだろうが、究極の境涯ではどうにもならないのである。即ち、病気や病気の原因である自分の心の存在を認めて、それを自分の信仰で良いものにしようとしているからである。こういうのは病気や病気の心をつかんでいるのであるから心の法則が働いて、そうすればする程、病気を認める事になるから病気が消えないのである。それは神に生かされているという事を忘れて、「自分が、オレが」の状態になっているのである。

 病気も何もナイ世界に超入しなくてはならない。最初から神が病気も何もお作りになっていないその世界に百尺竿頭一歩を飛ぶつもりで飛び込まなくてはならないのである。それは今、このままで自分が神に生かされていると悟る事である。病気の現象を認めず、それを現しだしている心の存在を認めず、ただ神に生かされている完全円満の自分が今、ここに生きている、生かされている事に目覚める事である。それは正に「そのままでよい」と言うことである。このままで神の流れである、現象はナイ、私は、私の信仰は要らない、ただ神に生かされている完全円満の自分がここにいるという事である。それが分かったら自ずと頑なな感謝しらずの心は消える。

 それを聖経「続々甘露の法雨」には「この病気は、この心の迷いの影」などと「迷い」をいちいち詮索することなかれ。「迷い」本来無ければ「迷いの影」も本来無し。」と示されているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-08-04 12:29 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 仙川健一 at 2009-08-05 00:56 x
目の前に病気で苦しんでいる人がいます。しかしその病気はナイ、現象はナイ、彼も自分も神に生かされている完全円満な生命であると絶えず自覚し続けることが、生身(五感)の人間に、本当に可能なのでしょうか。
Commented by koujihori at 2009-08-05 13:03
仙川様

 生身の人間と仰いましたが、現象人間にはそれは不可能でしょうね。だから、吾々は人生学校のあらゆる教科を通して、病気がナイと言う真理を体得して行くのでしょうね。その自覚は悟りの事であり、それは人生学校の中で自ずと出て来ます。だから、吾々は今、目の前の自分に与えられた課題に対して全力で取り組む必要がありますね。
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