一つの事に集中すること

 一つの事が成就するのには一筋縄では行かない。長い忍耐と努力と挫折をものともしない不屈の精神があって、ようやく成就する。
 そもそも上達するという事は反復練習の成果ではなくて、自分の中にあるそのままで完全円満の無限の力である宝を発見する事によって為される。その宝を発見して行く過程がたゆまぬ努力という事である。

 だから、昔から下手の横好きと言って、下手な人は色んなものに手を出して、それで表面だけさらっていて、その奥深く、掘り進んで本物を発見する事が出来ない為にどれもものにならず、だから大した事は無いのである。
 何かに上達するという事は色々と浮気しないでこれと思う事に照準を絞って、その努力をたゆまず続けて行く事が必要である。そうした中、中々成果が表れない事がおうおうとしてあるものであるがそうした時こそ諦めてはいけない。本当に大切な価値ある宝は地中深く埋めてあるとは生長の家の教えにあるが、そのように一つの事に掛けて、障害や挫折にも負けず、努力を継続させて行く中で遂に本物を探し当てる事が出来る。それが実相顕現という事であり、生長と言う事であり、上達するという事である。そして、その宝を探し当てる直前というのは最も絶望的になる時である。しかし、そうした時に諦めないで努力を継続したものが最高の宝を掘り当てる事が出来る。だから、一つの事に絞って、それに徹底的に掛けて、努力して行く事が大事なのである。

 吾々はそのままでよいのであり、そのままで完全円満、無限力であるが、それでは何故、そうした完全円満、無限力である宝を掘り当てるのに不屈の努力が必要かと言ったら、忍辱、継続、全力等々の心は神そのものであるからである。神は全ての全てであるから、全力こそが神であるからである。

 信仰も全く同じである。色々な宗教とか先生とかをかじって浮気する様では駄目である。自分がこれと思う信仰、師を仰ぎ、その中でたゆまぬ行をして行く事が大事である。人によると生長の家に入ったら、それだけで何事もなく、健康になり、経済的にも良好になり、子供も優良に育ち、夫婦も円満になって何の問題も無くなるなんて幻想を持っている人もいるかも知れないがそれは大間違いである。生長の家に入るという事は峻厳な求道の生活に入るという事である。その中で様々な問題が起こって来るのである。それは全て、自己が生命の実相という最高の宝を探し当てる為の練習台である。そうした中、徹底して信仰を継続して行く中で最後の最後に本当に最高の宝を発見し、常楽の状態に入る。
 それはテニスならテニスの上達を志す者がテニスクラブやテニススクールに入っただけで上達出来るなんて事は無いと言うのと同じである。テニスの技を練習し、試合をし、そうした中でくやしい思いを何回もする中でそれでもくじけないでその努力を継続する中でこうしたら良いという事がある日突然ぽっかりと分かる。それが内側に既にある無限の力、無限の智恵、技を掘り当てるという事であり、それを掘り当てた時、初めて上達するのである。
 生長の家も真面目に行をして、師のもとに努力を継続し、問題が出て来ても、家族の誰かが信仰の甲斐無く亡くなる事があってもそれでも生長の家を継続する中、その奥の無限に素晴らしい生命の実相を掘り当てる事が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-09-01 14:38 | 信仰 | Trackback(1) | Comments(2)
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Commented by ふじおか at 2009-09-01 23:35 x
一つの道を継続する  言葉では簡単ですが実行するのは容易な事ではありません。

生長の家の同士でも途中でやめらる人はいます。
私もその一人です。
亡くなった大原麗子さんの言葉ではないですが、少し愛して 長く愛して 
というはとても尊いと感じます。
Commented by koujihori at 2009-09-02 10:00
ふじおかさん

 一つの事を継続するのは確かに難しいですが、それは神の心そのもので吾々の本質は神そのものですから、吾々は継続力そのものであるという事になります。途中で止めるというのも一つの経験であって、それで継続する事の大事さを本当に内側から悟ると思います。私は中一の時、卓球部をわずか2ヶ月で止めて、中二の時、バレーボール部をやはりわずか半年で止めた経験があり、それで途中で止めたら何にもならないと思い知ったので、それからの僕の人生のモットーはとにかく一度始めたものは続けるという事になりました。生長の家をやり続けたのもその為です。
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