人生は神生である。(3)

 よくあの時、あんな事を言わなければ良かったとか、しなければ良かったと言う人がいる。それで人生を出来ればやり直したいとか思うのであるが、その必要は全く無い。何故なら、それは自分の観が歪んでいるからそう見えているだけであるからだ。
 自分の観が歪んでいれば、実相が歪んだものに見えるのである。実相が歪んで見えるとは正しいものが間違ったものに見え、良いものが悪いものに見え、健康なものが病気に見えるのである。
 自分の人生は最初から神の生即ち神生であり、何ら間違いも罪も無い完璧なものであるが、自分の現在の観が歪んでいれば、自分の過去の生が間違いだらけ、罪だらけのものに見えるのである。だから、それは本当に間違った人生でも無ければ、罪ある人生でも無く、最初から神に導かれた、神が生きてきた生、神生であるのである。その事を悟らない事を罪と言うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-01 12:20 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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