生かされている(10)

 全ての迷いの根源は自分で生きているという迷妄である。自分で生きようとするからそれが我(が)となり、又、それが自分のそのままの力に蓋をする。

 吾等は自分で生きているのではなくて神に生かされているのである。なまじ生長の家で自分の心が自分の運命を作ると教えられ、だったら、自分の心を良い状態に保たないといけないと思ったら最後、神に生かされているという事を忘れ、自分が生きているという迷妄に陥るのである。実相の他に自分の心というものがあって、それが実相にピントを合わせられれば良いが、それに失敗して悪想念を思ってしまえば、その悪想念の通りの悪い運命が自分に与えられると思うものだから、一所懸命、自分の心を良い状態に保とうとする。しかし、この時点でその人は実相の他に自分の心があると思って、その心のコントロールにより自分は生きていると思うのである。それが我(が)である。しかし、生長の家の究極の真理は実相独在であり、心も現象もナイという事である。
 それは具体的に言うと、実相即ち神が自分を生かしてくれているのであり、全ての問題、悩み、迷いは神が消して下さるという事であり、自分の心も神が清めて下さる、否、自分の心と思っていたものが実は自分の心ではなくて、神の心であったという事である。それを悟る事が実相独在を悟るという事であり、その悟りというものは現象の心が修行して悟ったのではなくて、吾々の中に既にあった悟り(それこそ実相である)が自分で出て来て悟るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-02 12:56 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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