真の行とは

 行ずるのは完全円満になる為ではない。完全円満であるから、行ずるのである。ここの違いは大変重要である。今、完全円満であるから無限力を行使するのである。悦ぶのである。全託になるのである。勇気を出すのである。それで結果的に訓練になり、潜在意識が清まるのである。それでどんどん現象的にも肉体的にも良くなるのである。

 私は実は自分の生活殆ど全てが弱い自分との対決である。以前の私は大変臆病で色々な事を心配し、恐怖して生活して来たのである。しかし、宇治で私の尊敬するA先生に「今、神である」という薫陶を頂いてから、私は決して、自分の目の前に巡ってきた事に対して背を向けないようにしている。テニスの大会に出て試合したりなどは昔の私だったらとてもとても強気になれず、避けていただろうし、その他、生長の家でもこういう発表をやってくれとかここに出講に行ってくれなどという事は私に取ってはとても勇気の要る事であるし、それを弱い自分に負けないで全託の心、捨て身の心で突っ込んでいくのは正に私は今の自分を完全円満、無限力とみなしているからである。それが結果的に訓練になって段々度胸もついて来るし、色々な事も出来る様になって来たのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-14 12:10 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by シコク嫁 at 2009-10-14 20:42 x
いつも素晴らしき御文章、ありがとうございます。毎回、感心しながら拝読しているのですが、今日のこれ
>>行ずるのは完全円満になる為ではない。完全円満であるから、行ずるのである。。。。ストライク、ど真ん中でした。
これは・・・・・きました。うまく表現できないのですが・・・そうか!そうだったんだ!と目が覚めたような気持ちです。ありがとうございます。
Commented by koujihori at 2009-10-15 10:27
シコク嫁様

 コメント有り難うございました。そうなんですよね。完全になる為に行をやるんだと言う事であればやればやる程、今の自分は不完全だと言う事になりますね。神が神する神想観という言葉をお聞きになった事があるでしょう?要するに「そのまま」であれば自ずと内側から神が働き、神が神する神想観、愛行が出て来るんですね。それが生長の家の神髄ですよ。それが榎本先生の仰る「裸」であり、久都間さんの仰る「レッテルをはがす」という事ですね。
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