神に生かされている

 吾等は生長の家を信仰する場合、その生長の家の真理である「実相独在、吾神なり、現象はナイ、心はナイ」の真理をどうやって悟れるかと言ったら、それは神が悟らせて下さるのである。それが吾等が神に生かされているという事であり、我(が)は要らないという事である。
 吾等は神である。その時、何をどうするかはその時の内側の神が具体的に細かく指示して下さる。それが神に導かれているという事であり、問題は神により消して頂けるという事である。

 私は仕事とか生長の家の活動をする中でどうして良いか分からなくなる事がある。会社に評価制度を取り入れた時も社員の給料表を作成する時は途方にくれてしまった。しかし、程なくしてこうすればいいと言うイメージが忽然と内側から湧き上がって来て、上手く作成する事が出来た。又、生長の家の誌友会などで出講する時も何を喋るかという事は本当に絶体絶命的心境になる事もあるが、これも当たり前に準備して行けば、いざ出講先に行って、講話を始めれば内側から神に導いて頂ける。

 吾等は誰でも内に神を蔵しているのであり、その神により導かれ、悟りを得る事が出来るのである。それが繰り返すが神に生かされているという事である。それをそうじゃないと思って、外に探し求める事が迷いであり、不安であり、我(が)であり、無力である。内側に神の見出すという事が悟りであり、無限力の発揮であり、大安心であり、勇気であり、全託である

堀 浩二
by koujihori | 2009-10-27 12:24 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by なおちやん at 2009-10-28 04:00 x
内容が難しい内容にばかりになって行くのでコメントしずらくなってきております。
探求心旺盛なのはわかりますがもう少し、柔軟に物事を把握してみたらいかがでしょう。
例えば・・・怖い事ですけど護良親皇が幽閉された土牢の前(鎌倉宮)で神想観をしてみるとか?その位の心境な『なおちやん』でした
Commented by koujihori at 2009-10-28 08:55
なおちゃん

>例えば・・・怖い事ですけど護良親皇が幽閉された土牢の前(鎌倉宮)で神想観をしてみるとか?

 コメント有り難うございました。久しぶりにコメント頂けて有り難いのですが、これは冗談で言ってるんですよね。神想観する時はちょっと注意が必要で暗い所でやってはならない、招神歌を唱えなくてはならない、無念無想ではいけないとかの注意事項は知ってますよね。ましてや墓場なんかでやるなんて言語道断です。(でも土牢は墓場じゃないですね。墓場は首塚でした。ところでなおちゃんは色々の知識が豊富ですね)

 ところでこの頃の内容難しいですか?僕は自分でそう思わないんですが。
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