人間はそのままで神である。

 生長の家では実相は完全円満だが、現象は違うのでその実相の完全円満さを顕現させる為には心のレンズを真っ直ぐなものにしなけれはならないと教えられる。私はその事を高校生の時に知ったものだから、それからはその心のレンズを真っ直ぐにする事にそれはそれは苦労したものである。「生命の実相」第七巻生活編に「取り越し苦労するなかれ」という章があり、それを実行する事を試みたがどうしても出来なかった。それどころか青年会の仲間に「お前は取越苦労の仕方が異常だ」と言われた事もある。その時の彼の口調はまるで私を罪人扱いと言うか駄目な奴だみたいな口調であった。

 それで私は自分の心がどうしても明るく強くなれずにとうとう精神的につぶれてしまった。その時、私は自分を生長の家の落伍者と思った。生長の家の生き方、心のコントロールが上手く出来る人は生長の家のエリートだろうが私はそれが出来なかったのである。即ち実相は完全円満かも知れないが肝心の心のレンズを真っ直ぐにする事が出来るか出来ないかは個人差があって、私はそれが出来ない駄目な人間であると思った。それで宇治の道場に行き着いた訳である。

 しかし、それが良かった。私はそこで生涯の師であるA先生に巡り会い、今の自分がそのままで完全円満であった事が分かった。即ち、生長の家の実相独在、心もナイ、現象もナイという事がその時、初めて分かったのである。と言う事はそれまでの自分は落伍者でも何でも無く、この本当の自覚を得るための道程に過ぎなかった事が後から考えると分かるのである。

 真理を実行出来る人、心を整えられる人だけが実相顕現出来るのであって、勇気が無くて、真理を実行出来ない人、心を整えられない人は駄目な人であるなんて事はあり得ない。人間は神であるから心の弱い人なんていないのである。もし、心が弱いのであるならば、それは真の強い心が出て来る為の準備段階である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-11-19 12:23 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by シコク嫁 at 2009-11-19 21:11 x
昨日と今日の御文章、ふたつ続けて拝読して・・・しみじみ心に滲みます。
ワタシもつい最近まで(今でも時々?)「ねばならぬ」でがんじがらめになっておりました。「そのままで良い」「そのままで神」と知り、ホントに有り難い思いでいっぱいです。
>>心が弱いのであるならば、それは真の強い心が出て来る為の準備段階である。。。。良かですねぇ、心が晴れ晴れといたします、いつもありがとうございます。
Commented by koujihori at 2009-11-20 09:36
シコク嫁様

 コメント有り難うございました。そうなんですよ。感謝が出来る人、真理の実行が出来る人、勇気の出せる人はいいけど出来ない人は駄目な人、心掛けの悪い人って言う線引きっておかしいですよね。

 神の子なんですから出来ない訳ないですね。
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