本当の信仰とは(2)

 本当の信仰とはこれこれこういう祈りをやるから、ここがその祈りの通りの世界となり、それで初めて悦ぶというものではない。生かされる、生かされると念じるから生かされる様になるのではない。今、そのままで吾、神の子として完全円満、無限なる神に生かされ、幸はへられているから、それに感動して、感謝して思わずそれを賛嘆せずにはおれないというのが感謝の祈りであり、本当の信仰である。

 自分の都合の良い状態というのを勝手に自分で決めて、それを信仰とか祈りで自分の世界をそういう状態にねじ曲げようなんて言うのは信仰ではなくて、御利益信仰であり、我(が)である。如何なる運命であろうと如何なる状態であろうと今そのままでここが神の国であり、完全円満であり、一見困った様な事であっても神の目から見て、長い目で見て、結局良かったという事になるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2009-11-27 12:18 | 信仰 | Trackback | Comments(6)
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Commented by yuko at 2009-11-27 14:18 x
堀さん、お久しぶりです。やっとホッとするようなご文章に出会い嬉しく思っております。教団の中でも色々とあっているのでしょうが、私たちはみ教えにハイですよね。私は有り難いことに、榎本恵吾先生とのご縁でぶれない自分になることが出来ました。
Commented by koujihori at 2009-11-27 14:30
yukoさん

 ホッとして頂いて何よりです。何か最近は騒がしいですね。これも一つの過渡期と思っています。
Commented by だるま at 2009-11-27 23:24 x
『念仏はまことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん。また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもて存知せざるなり。たとひ法然上人にすかされまひらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ、そのゆへは、自余の行をはげみて、・・・・・』
「歎異抄」

『よき人(法然上人)の申されることを仏(絶対者)の仰せとして無条件、無批判に受け入れるより外に方法も手段もないのだよ。又そのことが仮に嘘であって、だまされて地獄(不幸な運命)に堕ちても絶対に後悔なんかしない。・・・・』
「そのまま極楽の道」藤原敏之先生著

堀さん、こんばんは。「本当の信仰とは」という文字を見ると、いつも上の言葉が思い出されるのです。
Commented by yukio aono at 2009-11-29 16:16 x
合掌 ありがとうございます。           神こそ渾ての渾て

> 今、そのままで吾、神の子として完全円満、

これら、言葉の綴文は、ブログを開くたびに、私の心を、すぐさま
信仰へと、いざなってくれます。実相へ振り向かせてくれます。
信心について、こんな文章を見つけました。「生命の実相」第37巻
「神の真が自分の中に生きていることである」
堀 先生、いつもありがとうございます。
                                敬礼

Commented by koujihori at 2009-11-30 09:44
だるまさん

 コメント有り難うございました。勉強になりました。
Commented by koujihori at 2009-11-30 09:45
aono様

 いつも暖かいコメント有り難うございます。本当にこのブログを書いている冥利に尽きます。
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