自分の人生は自分の実相が自分で出て来ている人生である。

 自分の人生は実相が自分で出て来る人生なのである。人生というものはそういうものなのである。それは表面的には色々の艱難辛苦や不都合が出て来るかも知れない。しかし、表面的に如何なる紆余曲折があろうとも、それは只々、吾等の完全円満の生命の実相が自己顕現する為である。

 現象というのはゆらゆらと陽炎の様に良い時もあれば、悪い時もある。そうした時に一喜一憂してはならないのである。生長の家の神示、「無相円相一切相の神示」にも「物の生滅に心を捉えられ、物が殖えたときに信仰を高め、物が減ったときに信仰を失ひ、身体が健康になったときに神を讃へ、家族の誰かに病気が起こったと云っては信仰を失うが如きは、神を信じてゐるのではなく物を信じてゐるのである。」とある。

 吾等はそういう現象の良し悪しの移り変わりにとらわれていては駄目なのである。現象が如何なる状態であろうとも、それはそのままで内なる実相の完全円満さが自己顕現する過程である。
 そして、それは自分が気を張って、自分の心のレンズを何とかコントロールして、実相顕現させ様とするのではないのである。心のレンズや潜在意識はナイ!と教えられているのである。
 吾等の人生そのまま神の生であり、吾等は表面的に如何なる紆余曲折があろうとも、それはそのままで吾等の中の神が自分で出て来る人生になっているのである。具体的には吾等は迷いの段階にあって、それでその迷いの結果を自分の肉体の状態、その他の現象の状態でそれを刈り取る事により、体験する。その中で吾等の生命が必死に、真剣になる事で、真の生長があり、その中で吾等はその本体が無限の智恵なる神であるから、自ずと自分の迷いに気付き、その事で本当の事が分かり、それが実相顕現になって行くのである。だから、何も恐れる必要は無い。自分の人生はこれでいいのだろうかとか、もっと励まないと駄目なんではないかとか、不安に思う事は無い。この人生そのまま神の生であり、神が御自分で現れる人生である。
 神に全託して良いのである。

 聖経「甘露の法雨」に「全ての存在は神と神よりいでたるものである」とはそういう事である。

堀 浩二
by koujihori | 2009-12-22 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(9)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/10583981
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by ハチドリの一滴 at 2009-12-22 18:43 x
堀 浩二さま 合掌ありがとうございます

普天間問題について、新たな展開があったようですね。本日の産經新聞夕刊によると、藤崎一郎駐米大使がクリントン国務長官に急遽呼び出され「日米合意の早期履行」を要求されたとのことです。

先日のブログ「日米間の“疑念”を払拭せよ」で総裁先生が意見表明されていた通り、日米同盟に暗雲が盛り上がってきました。

>外交は国家の存立に関わる重要事であり、(中略)
>国民全体の運命がかかっている…と。

堀浩二さん、ハチドリの周りの人々も同じように「現象は無いんや」と超のんきに構えている人がいます。でも、総裁先生のブログの記事を紹介し、総裁先生の真意と問題提起を真摯に受け止めるべきだと、ハチドリの一滴を注いでいます。守るぞ日本、守るぞ子どもたちの未来を・・・。

Commented by koujihori at 2009-12-23 10:14
ハチドリの一滴様

 コメント下さるのは有り難いのですが、あなたは私のブログの内容に対してでなくて谷口雅宣先生のブログに関してのコメントを書かれているのですから先生のブログにコメントされたら良いのではないですか?先日もコメント頂きましたが、それも先生のブログに私がコメントした事に対するものでした。そういうのも先生のブログでされたら良いと思います。
Commented by 三谷文人 at 2009-12-23 23:23 x
 有難う御座居ます

 生長の家の真理というものは、読書などを通して観念的に理解は出来ますが、本当に分かるのは、主に生活体験を通してですね。人間関係や日常の様々な体験や人生の問題を通して学ばされてきました。
 それらの出来事は、自分にとって面白くないことも多いです。しかし、後から振り返って、あれで良かったのだ、と思えることばかりです。
 人生の一つ、一つの出来事が学びであり、実相の噴出口なのですね。
 
Commented by koujihori at 2009-12-24 09:35
三谷さん

 コメント有り難うございます。この人生そのまま神の進軍なのですね。これで良かったんだと言う事ですね。とても有り難いですね。
Commented by ハチドリの一滴 at 2009-12-24 21:01 x
堀浩二様

スミマセン、ご指摘のとおりです。
横レスは慎まないといけませんね。ご寛恕ください。
総裁先生のブログへの書き込みは、一種のアラシになってはいけない、という浅知恵でしたので…。

堀さんのエントリーへのレスは、徳薄く、識浅いわたくし如きがとてもできそうもありません。

わたしが伝えたかったのは、民主党政権によってわが国、日本の
「主権」が損なわれ―外国人参政権の付与
「国益」が損なわれ―日米同盟の危うさ
「国柄」が損なわれる―中国への属国化(天皇の政治利用、“集団巡礼”)
へと突っ走っている現状認識を深めて欲しいからです。

 雅春先生が「もはや人力にての万策尽きたり、大神の御出御を仰がざるを得ぬ時来たれり」と
総本山建立を決意された昭和49年(1974)当時にも増して、
現状は、いわば「国家存亡の危機」に向かっているのではないでしょうか。杞憂であればよいのですが…。崔合掌


Commented by koujihori at 2009-12-24 23:33
ハチドリの一滴様

 >雅春先生が「もはや人力にての万策尽きたり、大神の御出御を仰がざるを得ぬ時来たれり」と
総本山建立を決意された昭和49年(1974)当時にも増して、

 あなたはハンドルネームを使っているのでどういう立場のどういう方かは存じ上げませんが(ハンドルネームを使うという事は発言もそれだけ説得力が薄いという事です。)、もし、あなたが本気で日本の国を憂う気持ちがあるのなら、総本山の龍宮住吉本宮の建立によって、人間智では無い神の直接の御出座により、日本国の実相顕現は既に成就されたのであるという事を御安心下さい。
Commented by 江藤進 at 2009-12-27 12:55 x
現象世界のことについて語っているときに「実相」をいきなり持ってくることは、はたから見ていると「逃げている」としか感じませんよ。
そういう会話を「コンニャク問答」と言います。

 谷口雅春先生は「皆さんは住吉大神の全身全霊である」とわたし達に実際行動の使命を与えられました。政界浄化の使命を与えられて「天皇国日本」とご揮毫された書を与えられ、信徒一丸になって運動したものです。
あなたは、知と信を強調して「行」を忘れてはいませんか。
Commented by koujihori at 2009-12-28 09:15
江藤様

>現象世界のことについて語っているときに「実相」をいきなり持ってくることは、はたから見ていると「逃げている」としか感じませんよ。

 実相と現象は異なるものとして峻別しなければなりませんが、それだからと言って、実相の他に何か現象世界という世界がアルかの様に思って、それをどうとかするというものではないのです。そういう段階での行もありますがそれは真の行ではないです。

 実相と現象は違います。でも現象は同時にナイのであって、この吾々の住んでいる世界は現象世界の様で実は実相世界であります。それを如何に認識するかがその人に取っての現象世界としてその人の周りに展開して見えるので、ここがこのまま実相世界である、自分は物質ではなくて、神であり、自分の歩んできた人生は実は自分ではなくて、神が歩まれた神生であったと悟る時、自分の人生に対する観の歪みが取れ、罪の意識が消え、自分の人生が百点満点の神の歩みであったと気付くのです。
 その悟りのある所、我(が)ではない所の内なる神が神する真の行が自ずと出て来るのです。
Commented by koujihori at 2009-12-28 13:16
江藤様

 あなたの最初のコメントを読んでいたら、これは私の本文に対するものではなくて、私のその前の「ハチドリの一滴」さんへのコメントに対するコメントの様ですね。

 要するに龍宮住吉本宮の建立により、神の御力により既に日本国の実相顕現が成就されたという私の言葉に対して仰ったのでしたら、確かに現象と実相をごちゃごちゃにしてる部分があるかも知れません。正確には「住吉の大神の御出座により実相顕現しつつある」と言う事になりますか。
<< 嫉妬について 実相は自分で出て来る(27) >>