問題はナイ

 私は会社では給料計算係である。今月は夏季賞与の月であるので昨日は各従業員の賞与計算をしていた。その二日前の月曜日に賞与支給日をいつにするか社長(私の父)に相談した所、給料日と同じ27日でよいということだったので賞与支給日を27日とする旨、文書にして社内掲示板に掲示した。
 
 しかし、昨日になって、急に賞与は本来は30日支払いが原則であるから賞与支給日は27日ではなくて月末の30日にすると訳の分からない事を父が言い出したのである。
 賞与支給日をきちんと父にお伺いを立て、その結果、はっきりと27日にするという指示であったので社内にも既に発表してあるのに、何を今更、おかしなことを言っているのだと、私は強く抗議した。
 やんごとなき理由があるならともかく、そんな三日も送らせなければならない事情など何もないことは経理担当の私にはよく分かっていた。
 私はその時、かなり憤って、その理不尽な指示に反対したので父もはっきりとした返答をしないまま、どこかに行ってしまった。

 それが昨日の午前11時頃であり、私は社長である父の理不尽さに腹が立って仕方が無かった。以前にも同じ様に父が急に強引で理不尽な命令を下した事があり、その時は父をうらんだが、その頃の記憶がふつふつとよみがえって来たのである。
 しかし、昼を過ぎる頃から段々と気持ちが落ち着いて来て、ふとメモ帳に目をやると「理不尽な目上の者がいるから自分はこの組織にいられないというのは間違いでこちらが目上の者の善なる実相を観て、中心帰一する心になれば、目上の者も理不尽なことを言わなくなる」という私がかつてメモした一節が目についたのである。
 面白い話だが私は私自身がかつてメモした事に教えられ、気を取り直し、こちらが相手を悪い人間だと思って問題をつかむから駄目なのであって、父は神の子であり、本来理不尽な事を言う人間ではないから、現在の問題は心から放して、神に全託しようと思ったのである。
 その上でまだ父が賞与支給は27日ではなくて30日にすると言ったら、理屈は全て捨てて全面的にその指示に従おうと腹を決めたのである。

 そうしたら専務である兄が賞与の事でなにやら父に話してくれた様であったが、その後、いよいよ、賞与振込手続きの期限が近づいて来たので私は父にもう一度、賞与支給日について確認した。すると、何と最初の決定した通りの27日支給でいいよと父は答えたのである。

 現象の奥に実在する本当にある世界、これを生長の家では実相世界と呼んでいるがそこは神の世界であるから本来は何も問題のナイ世界なのである。
 だから、我々がそれを信じ、何も問題をつかまずに神にお任せしておれば、自ずと本来問題のナイ世界が展開するのである。
 しかし、自分で勝手に「この世界には悪人がいる。問題がある。」と思うと、本来無い問題を心で握ってしまい、心で握れば、心が映し出す世界であるこの現象世界に本来存在しない問題が展開して来るのである。

 この世界は本来は何も問題のナイ世界なのである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-06-23 13:19 | 信仰 | Trackback | Comments(8)
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Commented by 三浦 at 2005-06-26 17:07 x
三浦です。先週は申し訳ございませんでした。正直に
話しますと、駐禁をしてしまったからです。運転歴の
中で、初めての減点。今考えると、心に余裕がなかったの
だと思います。そして、連絡が出来なかった事についても
反省。すいませんでした。
上記については私も職場においてあれこれ考える事があります。
組織は、色々な人間の集合体の上に成り立っていますから、
意見の合う人、合わない人、様々です。ただし、他人が
どう言おうが、自分自らがどう行動するかが一番重要だと
思います。その動機は、会社を良くしたい、自分を高めたい、
周りの人を幸せにしたいなど、どんな事でもいいはず。
父を敬いつつも、会社ひいては従業員のことを考えた堀さんの
行動を社長、従業員の方々はきっと見てますよ。
Commented by 堀 浩二 at 2005-06-27 08:49 x
三浦様

 コメント有り難うございます。そうですか、駐禁ですか。それも初めて失点とはすごいですね。私なんて違反はしょっちゅうとは言いませんが十回以上しています。

 ところで暖かいコメント有り難うございます。三浦さんの仰る通りだと思います。自分の信念に従って生きる。これに尽きます。こういう姿勢さえあれば、必ず神様と波長が合い、結局はいい方向に行くのです。

 でも組織で生きていくのは難しいですよね。自分の信条を通すのか、それとも組織に組み込まれて行くのか。こういうのを禅の世界では「公案」というのです。でも結論から先に言うと、どっちも立てる生き方があるのですよ。

堀 浩二
Commented by 三浦 at 2005-07-11 22:38 x
公案ですか?もっと詳しく教えていただけますか。私は、
普段の営業活動の中では、”お客様ありき”というのを
考えているつもりですが、一方で自分の営業成績もやはり
気になります。加えて、私も社会人を5年経験しましたので
次第に組織全体についても考えるようになりました。特に、組織の
ことを考えるようになってからは、組織、相手、自分の
バランスは本当に微妙なものだと実感しています。
禅の高僧と堀さんの考えを教えて下さい。
Commented by koujihori at 2005-07-12 09:51
三浦様

 それは中々一筋縄ではいきませんよ。ここで言葉であれこれ言ってすぐに三浦さんがそれを会得出来たら誰も苦労しません。

 公案というのは例えば、断崖絶壁の上に崖の方に突き出している一本の木があって、自分がひもを口でくわえてそのひもだけでその枝からぶら下がっている状態で崖下から自分の師から自分に対してある問いを問われてそれに答えなくてはならないという状況をどうするかとういうのが公案です。
 禅の世界では師に問われ、それに答えなくてはそれは破門に値するものであり、答えて口を開けば、ひもを放すことになりそうなると今度は自分の身が崖下に真っ逆さまに落ちて、転落死はまぬがれないのです。
 即ち右するも左するもどちらも死であり、進退窮まってしまう状態です。
 こういう時、三浦さんならどうしますか?

 堀
Commented by 道源秀実 at 2005-07-28 02:40 x
素晴らしい体験を読ませて頂きました、ありがとうございます。最初にお父様とうまく話がかみ合わなかったのは堀様が<何を今更、おかしなことを言っているのだと、私は強く抗議した>のお気持ちがそのまま現れたのではありませんか。その時に本当に従業員の立場でお父様に真摯に相談なさっていたらお父様と気まずい思いにはならなかったでしょう。堀様の怒りの心がそのまま顕れたのです。堀様の文章を読ませて頂いていると、ご自分は悪くないからお父様の悪い面を見ずに実相を見ると、お父様が変わられたと書かれています。そうではないと思います。堀さんが自分が社員に発表したものだから今更自分の立場を守りたい心が怒りとなって返事されたものだから、お父様の態度になったと言うことに気がつくべきです。真理を自分の都合に合わせて使うことは間違いと思います。偉そうな事を言って申し訳ありません。
物事はどのような心持ちで発言するかが大切と思います。同じ事でも我の心で発言することと。自分の我を出さずに人のためを思い発言する事で大きな違いがあります。発言せず実相を見て祈っていれば神が顕れるは間違いと思いますよ。感謝し合ったとき神が顕れるのです。拝
Commented by koujihori at 2005-07-28 09:00
道源秀実様

コメント有り難うございます。道源さんの仰る<堀さんが自分が社員に発表したものだから今更自分の立場を守りたい心が怒りとなって返事された>という面も確かにあります。
 でも、一度はしごで二階に上がったものを後からはしごを外されたという憤りもあったのですよ。

 でも、そんなことは所詮現象です。確かに仰るように真理に基づけば父の理不尽な姿は本来ナイのであり、それは私自身の心の鏡であります。だから私の心が変わったら本来何も問題のナイ実相の姿が自ずと浮かび上がったのだと思います。

堀 浩二拝
Commented by 三浦 at 2005-09-15 22:16 x
三浦です。うーん難しいですね。
まず、最初になぜ師は、弟子にこのような試練を与えたのかを
考えなければならないと思います。
そもそも、この師は弟子に死ねといっているのでしょうか。
強い師弟関係で結ばれているのなら、そんなことをいうことは
ないはず。おそらく師は、弟子に対し極限の状況下で何かを
感じてほしいため、このような試練を与えたのではないでしょうか。欲、煩悩といった雑音は、その状況下では消えているはず。
私だったら、師はいったい何を考えているのだろうかということを
気を失うまで考え続けるのではないのかと思います。
Commented by koujihori at 2005-09-16 09:13
三浦様

 コメント有り難うございます。夜遅くてお疲れの所すいません。
 ところでそう来ましたか。師弟関係にあってそんな生命がかかった様な無理難題を言うのは非情だと言うわけですね。

 でもこれはたとえ話なのでそういう師とは弟子に愛情をそそぐべきだろうというのはここではちょっとはしょってもらえませんか。このたとえ話で言いたい箏は別にありますので。
 要するにここで言いたいのは進む事も後退する事も出来ない絶体絶命になった場合、我々はどうしたらいいかという公案です。

 そこにポイントをリセットして頂いてもう一度考えてもらえませんか?

堀 浩二
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