性への執着

 求道者に取って、昔から性への執着を如何に断ち切るかと言う事が大問題であったのである。ここでも何回か御紹介したが、私の年配の知人が言っていたがセックスへの執着というのは年取れば無くなるなんてものではなくて、80歳を過ぎてもそれを持て余して悩んでいる人がいると言うのである。だから、その人に言わせれば、セックスはやりたかったらやれば良い、散々やったら、自ずとアホらしくなって来るよと言う事である。
 確かに谷口雅春先生の御著書にもある年配の上品な婦人の話が出て来るが、その人が年取って、ぼけて来たら、辺り構わず放尿して、男に色目を使う様になったなんて話も出て来る。その婦人はぼけていなかった時は理性で性への執着を抑えて来たのであるがぼけて理性のたがが外れると性への執着がもろに表面に出て来たと言うのである。

 私は性の問題は徒にそれを抑えたり、だからと言って飽きるまでやるというのも間違いだと思う。私が思うに性への執着と言うのも執着の一種であって、執着を解けば、自ずとそれは適当なものになると思う。

 執着というのは肉体がアルという迷いであり、つかみである。その執着が自らを縛り、それが恐怖となり、不如意となる。神性が内側から啓けて来るに従って、肉体がナイ、現象がナイと分かると自ずと執着が取れ、縛りが解け、大自在の境になる。その時、肉体の欲望も適度なものになって来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-01-14 12:20 | 家庭生活 | Trackback | Comments(0)
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