実相は自分で出て来る(28)

 確か十年位前の事と記憶しているがある生長の家の先生が講話でこんな事を仰っていた。それは「吾々は実相は完全円満、無限力、無限健康です。そして、この現象世界は吾々の心の影であり、具体的な存在ではないのですから、吾々が自己の実相の完全円満さを自覚しさえすれば、必ずどんな病気も不幸も消滅し、健康に幸せになります。でも、その自分の心を変えるのが究極の問題なんですよ。」という事であった。

 要するに吾々は心さえ良いものにして自己の実相の完全円満さを自覚する事さえ出来たら、いくらでも力は出るし、幸福にもなるがその心のコントロールがままならないのですよと言う事を強調されていたと記憶している。私もその事では随分悩んだ。それは初めて生長の家の練成会を受けた高校一年の頃からである。
 しかし、聖典「生命の実相20巻・自伝編」では谷口雅春先生もこの心のコントロールの問題では相当悩まれ、そして遂に「現象はナイ、心もナイ、実相のみがある」とお悟りになられて、「その時、初めて自分はどうにもならない悍馬である心から実相の大地に降り立ったのだった。」とお書きになっている。

 要するに生長の家の人は雅春先生同様に自分の心のコントロールに苦しむのである。しかし、それは間違った考え方である。自分の心をコントロールする事により、実相を自分で出すと言う考えが間違っているのである。それは実相の他に自分の心もそして、その心が作り出す現象もアリと認めている迷妄である。生長の家の神髄は実相独在であって、その実相は今ここにそして自分の中にある。それを悟る事が大事であり、その悟りのある所、心のコントロールなんて次元は突き抜けて、吾が内の実相の躍動のみを実感する事が出来る様になる。それは自分の人生が現象的には紆余曲折があったかの様に見えるがその実相はただ実相が自分で出て来ている過程、道程であったと言う事が実感で分かるのである。即ち、それが「生かされている」と言う実感であり、実相は実相自ら自分で出て来るという実感である。自分の心もナイ、現象は無論ナイ、ただ自己の内在の実相が自分で出て来る事によってのみ実相顕現も生長もあるのであって、我(が)が色々励んで心を清めて実相を引き出すなんて事ではないのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-01-19 12:33 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 三平 at 2010-01-21 00:39 x
ここでお説きなっているのは生長の家の教えの真髄だと思います。いつも教えられています。有難うございます。
Commented by koujihori at 2010-01-21 11:34
三平様

 受け取って下さって、有り難うございます。そう言って頂けると冥利に尽きます。
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