信仰があってこその行である。

 現在、脳科学なるものが発達して来て、脳細胞というものは使えば使うほど活発に再生するものであり、何かのきっかけで脳に損傷を負ったとしても、自分の好きな事に熱中するとかして行く内に脳の回路がつながって回復するなんて事例も報告されて来ている。

 しかしながら自分の能力を使うという事は自分にその力があると知らなくてはならない。その力があると分かってこそ初めて使える。だから、ただ使え使えという事だけでは片手落ちである。
 そして、力があるという事は我(が)の力ではなくて、天地一切に満つる神の完全円満さが全ての生命を生かしていて、何も悪い事は無いし、悪い人間はいないという自覚と大安心が必要になって来る。そうでないと恐怖心があったり取り越し苦労があると安心して自分の力とか智恵を使う気になれず、悪い事になるのを恐怖してそれを良くしようとか悪い事態にならない様にしようとかして本来の自己のそのままの完全円満さを縛る事になるのである。

 生長の家の迦葉尊者と言われる吉田國太郎先生は「自分が行ずるにしても何が行ずるのであるかという事が大問題であります。そこに座っている者は何者かであるかという事が大問題であります。そこに座っている者は私という我(が)であり、又、真理を行ずるのは私という我(が)であり、肉体であると思っている人は早晩、生長の家を止める時が必ず来ますよ」と訴えられている。

 要するに本当の信仰も無いのにただ生長の家の生き方を行ずるというのではそれは我(が)の空回りになるのであって、自分が完全円満の神であり、自分の中に神の国があり、自分は神に生かされている完全円満の生命であり、この世界には何一つ悪いモノは存在しないという絶対的な全託の信仰がまずあって、そこから自ずと行動として出て来る行でなくては意味が無いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-01-25 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 科戸の風 at 2010-01-26 11:40 x
はじめまして、谷口先生のブログから流れてきました、山口こと、「科戸の風」です。
私は、「生長の家」会員ではないのですが、
今後、訪問させていただきたいので、よろしくおねがいいたします。

わたしのブログにも、遊びに来てください。
Commented by koujihori at 2010-01-26 13:04
山口様

 コメント有り難うございます。ブログ拝見させて頂きました。日航の事などとても勉強になりました。今後とも宜しくお願いします。
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