実相は自分で出て来る(29)

 吾々は内なる実相完全円満を現実に現し出すにはその実相完全円満の行動化、即ち真理の行動化が必要であるとされる。従って、人の悪を観ない様にするとか、善行を積み重ねるとか、勇気を出して、全託を実行するとか、取り越し苦労しないとか、究極は親に感謝しなくてはならないとか色々ある。

 しかしながら、その実行が難しいのである。数日前のブログでも引用したが、生長の家のある先生が「心を円満な状態、清めた状態、真っ直ぐな状態にすれば実相顕現するのは分かっているのだが、その心を真っ直ぐな状態にするのが難しい」と仰っていたのと同じである。自分を投げ出して、やるべき事を勇気を出してやるとか決して激高しないで常に穏やかに振る舞うとかと言った生長の家の生き方をすれば実相が顕現するのは分かるのだが、その勇気、根気が出ないのである。

 しかし、生長の家の奥義は「実相は自分で出て来る」と言う事である。実相を行動化するのは誰かという昨日のテーマと同じになるがそれが私というちっぽけな肉体という我(が)であると思うものだから、出来ないのである。実相を実行する、生活化するのは我(が)ではなくて吾が内なる神即ち実相そのものである。それを生長の家では「実相が実相する」「神が神する」と教えている。本当の行はそういうものであるし、実際そうなのである。それであれば吾等は歓喜勇躍して、手の舞い足の踏むところを知らずという事になるのである。実相の行動化が自分がやるのでは出来ないだろうが神が行うのであるから、必ず出来るからである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-01-26 12:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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