実相は自分で出て来る(30)

 自分の心のレンズが悟るなんて事は無いのである。ただ、自分が今、神であるという事実があるだけである。自分は神であるから、自分は悪しき事は考えないし、恐怖もしないし、善のみを考えるのである。その自覚が今ここにあるだけである。
 だから、心のレンズを清めるなんて事もナンセンスである。心のレンズなるものは存在しないと教えられているのである。ナイものを清めるなんて事も馬鹿げた事である。実在するのは自己が神であるという事、そしてその実相である自分の神なる生命が自分で出て来るという事しか無いのである。それを取りも直さず生長と言うのである。また、それが顕在化するのを悟ると言うのである。そして、その生長段階の初期の段階を迷いと言うのである。その実相が自分で出て来る過程の中で結果的に心のレンズとか潜在意識が清まるのである。
 
 そして、それが生かされているという事であり、感謝と言う事である。ただただ神に生かされている、それが吾が内なる神が御自分で出て来るという事である。自分が心を清めて、自分が神をひっばりだすのであるという考えでは偉いのは自分であって、神ではないと言う事になる。そこには神に生かされていた、有り難いという感謝の念は無いのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-01-27 12:10 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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