宗教はナイ

 昨日、お伝えした通り、私は先週の日曜日に生長の家の講師資格の昇格試験を受けた。合否のほどは何とも言えない。神に全託するのみである。合格したらそれで良いし、例え不合格だとしても、その事が何事かを私に教えてくれるのである。

 ところでこの三ヶ月間、受験勉強を真剣にしたお陰で現在の生長の家の運動が正に神の運動であり、改めてその素晴らしさと意義を感じ、又、現生長の家総裁、谷口雅宣先生が如何に神意に則った素晴らしい指導者であるかと言う事をより実感する事が出来た。だから、講師昇格試験というのはうかるうからないは別にしてそういう効果もあると思う。

 ところで私が先日、「生長の家」はナイと書いたが、それは現象としての現れとしてナイと言ったのであり、真実存在するものは実相世界、大宇宙としての生長の家のみであると言う事である。が、私は生長の家に限らず、その他の宗教なるものもナイと常々思っていた。イマジンというジョン・レノンの歌があるが、ここにはThere is no religion.(宗教はナイ)という歌詞が出て来る。私はこれを知った時、ジョン・レノンという人はやはり特別な優れた感覚を持っていたのだなと思った。私がある時、宗教はナイと言ったら、ある人が「それは違う。宗教は必要だ。」と私に反論して来た。でも、私は宗教は不要だと言ったのではなくて、本質的にナイのであって、宗教というのは真実在の神から出て来る働きとしてはあると言った積もりである。

 さて、今回、受験勉強をしていて、私のその感覚が間違いでなかったという事を生長の家の本の中に見いだす事が出来た。それは概略「古今東西の世界宗教というのは無色透明の真実在の真理を時代や地域や民族性に応じて、それぞれ色づけされて出て来たものであり、その色づけの部分を真理そのものとするのではなくて、その奥の無色透明の真理そのものを全ての人類は最終的には学ばなくてはならない」という文章を読んで、やはり、宗教というものはナイという自分の実感が正しかった事が分かった。

 宗教はナイのである。それは必要に応じて、現れた働きに過ぎない。生長の家(大宇宙)のみあると言う事を人類は目覚めなければならない。

堀 浩二
by koujihori | 2010-02-02 12:23 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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