今、自分に与えられた事は解決可能な事だけである。

 生長の家の教えのとても有り難い教えに「今、自分に与えられた事は解決可能な事だけである。」というものがある。それは特に谷口清超先生が良くお説きになっておられた。先生は「もう駄目って事は無いんです。」とも仰っていた。これが分かれば吾々は人生を生きていく上で心配する事は何も無くなる。

 私は以前はちょっと大変な時期があり、心に平安が無くなり、一年近く夜まともに眠れなかった。それは「神に生かされている。何も心配は要らない」という事が分からない為に取り越し苦労ばかりして、良くしよう、良くしようと自分が問題とかを心でつかんでいた為である。要するに神に生かされている事を忘れ、私が、オレがという我(が)の塊であったものだから、常に不安があり、良くしよう、自分が生きようという心で「そのままで完全円満であり、無限の善なる神に完全に生かされている自分の生命」をがんじがらめに縛り上げていたものだから、本来の生命力が出なかったのである。
 そういう場合は前途に何の希望も持てないから「もう駄目だ」と何回も思ったものである。しかし、それを救って下さったのがそれまで何千回も繰り返し拝聴していた谷口清超先生のテープの中に出て来る前述の「解決出来ない問題は決して与えられない」「もう駄目って事は無いんです」の教えであった。私はこの教えにしがみつき、それで決して生長の家を辞めずに精一杯頑張ったお陰で宇治の道場のA先生により、「今、そのままで救われている自分及び全人類」「生きるのではない。生かされている。」という自覚、悟りを先生に授けて頂いた。それでそれまでがんじがらめになっていた私の魂は解きほぐされ完全に救われたのである。
 別の言い方をすればその自覚が得られるまでの私は表面的には絶望的状態であったのであるが、実相から見れば、正に「完全円満なる神に今、生かされていた。」という悟りが出て来る為の基礎工事期間であったのである。

 その後のこの13年は正にその自覚の実生活におけるトレーニングの連続である。その課題は次から次へと自分に与えられるが、その練習台を通して、ますます「生かされている」「全託」という悟りを実行に移すトレーニングをやり込んで行き、ますます潜在意識にその悟りが浸透し、肉体も更に改善され、より健康になっている。
 
 吾々は実相は完全円満だが、それを実行するのは自分の責任であると思いがちである。そうなると生かされているという自覚がいつの間にか抜け、「自分が」と思う事がある。しかし、そうなると神と自分が分離する事になる。そうではなくて、表面上は如何なる状態であろうと自分がするのではない。神が内側から為さしめ給うているのである。「吾が業(わざ)は吾が為すにあらず。天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)」は今の事である。自分がやっている様で神がおやりになっているのである。だから昔から「やれば出来る」と言うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-02-16 12:16 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by ふじおか at 2010-02-16 20:13 x
現代社会では自分の苦悩ときちんと向かい合う事のできない人がとても多いそうです。  そのために精神障害に陥ってしまう。
解決できない問題はない。  
完全円満の自分を信じる事のできる真理に感謝です
Commented by koujihori at 2010-02-17 09:42
ふじおかさん

 コメント有り難うございました。

>現代社会では自分の苦悩ときちんと向かい合う事のできない人がとても多いそうです。  そのために精神障害に陥ってしまう。

 そうですか。へー。でも、ものごとから逃げてばかりだと永遠に解決は出来ないですね。でも、私は大人の社会ではそういう人が割合多いのではないかと思います。それはやはり、真理を知らないからですね。やはり、真理というのは大事ですね。真理と向き合う、真理に対して全面的にハイという心が真の中心帰一の心であるとは私が何回も拝聴した谷口清超先生のテープにありました。
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