心を整えようとする必要は無い。

 恐怖心が一番いけないとは生長の家の教えであるが、一般的にも試験とかスポーツの試合で緊張して萎縮すると本来の力が出せないと言う事は余りにも知られた事実である。

 ことに生長の家には唯心所現の真理があり、「思ったら思った通りになる」と教えられているので、恐怖心を持つと恐怖した通りの運命とか健康状態を招くと知っているものだから、ことさら恐怖心を起こしてはいけないと思う。しかし、恐怖すまいとすればするほどしてしまうのが人間である。それで恐怖滅せんとすれば実相を思えとも教えられているが、この様に心のコントロールに悩むのが単に唯心所現の真理のみを知ったものの常である。即ち「恐れる事」を恐れるのである。

 そんな時は聖経「続々甘露の法雨」に「恐怖を捨てんとする努力をさへ止め、そのままであれ」と教えられている。それはどういう事かと言えば、恐怖は本来ナイから、神が取り除いて下さると言う事なのである。恐怖は本来ナイという事自体が神の御心のみが存在するという事であり、それは現象的には恐怖は神が取り除いて下さると言う事になるのである。それが絶対他力の信仰である。そして、整えよう良くしようとしていた自分の心が実はそのままで神の心であったと分かるのである。それが心はナイ、実相のみ今ここにあるという事であり、自分が神であると言う事である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-03-08 12:36 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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