全託について

 私の尊敬するA先生は「皆さん!全託と言ったら本当の全託ですよ!」と御講話で強調されていた。吾等は神に全託しなさいと言われても、祈りは自分がやらなくちゃならんだろとかほんのちょっとこの部分はまだ自分がきちんとしてなくちゃならん、整えなくちゃならん、清めなくちゃいかんと何となく思っているものである。「その上での全託だ。それこそ「人事を尽くして天命を待つ」である」なんて思っているものである。
 しかし、そこに完全な百%の信仰が失われるのである。それが心の隙であり、そこから「千丈の堤も蟻の一穴から崩れる」の例えの通り、全ての信仰が崩れ去るのである。
 
 「これだけは私が」と思うのは真の全託ではなく、私がそこに入り込んでいるのであり、その分、神を小さく限っているのである。
 繰り返すが全託と言ったら、本当の全託である。私がこれだけ祈ったからとかそういう事ではない。そこにもう自分は無く、神が全てを司り、救い、整えている世界即ち実相世界のみが今、ここにあり、その神の表出口として、自分が自ずと動き出すのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-03-24 12:27 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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