生かされている(12)

 私の尊敬するA先生の御講話の中でこういう話がある。それは生長の家の宇治別格本山での練成会で座談会の時、ある青年が「私はもう生きるのが嫌になりました」と暗い顔をして、先生に訴えたのだそうで、そうしたら先生はすかさず「何なら僕だって嫌だよ。」とお答えになったそうである。

 昨日も「いのちの電話」という番号に自殺を示唆する電話が年間6万件位掛かって来るというのをニュースでやっていたが、それには「私は生きる事に疲れました。」とか言う内容が多いのだそうである。

 ところで私はここ最近一ヶ月の間、どういう訳だか次から次へと神経をすり減らす様な試練が次々と出て来る。現在でもおよそ6個位の問題、課題がある。会社の事、家族の事、大学のOB会の事等々どうしてこれだけの難題が一度に来るのかと不思議である。これは私が「自分で生きている」なんて思っていたら、その心労におそらく耐えられないと思う。しかし、私は幸運にも生長の家の信仰があり、自分が生きるのは自分が生きるのではない。完全円満の神に生かされているのであるという事を知っている。だから、問題がある様で全部神様丸投げにしているので実はらくちんである。榎本先生は又「神様の責任において」とよく仰っていた。これはちょっと生長の家をかじりかけの人で真面目な人であればあるほど「私の責任で」と力むものである。しかし、内側から神が自分を生かして下さっているのであるから一切の後悔も取り越し苦労も要らないのであり、正に「神様の責任」で全部自ずと良い様に進行するのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-03-30 12:28 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented at 2010-03-31 02:32 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by なおちやん at 2010-03-31 02:36 x
次々と問題が湧いてホントしんどいですね。たまには車通勤やめて、電車通勤してみたらリフレッシュになるんでしょうか、若い女性の匂いきを嗅ぐって妄想にふける堀さまがみたいな
Commented by シコク嫁 at 2010-04-09 16:54 x
いつもありがとうございます。
この「神様の責任において」という言葉に目が覚める思いです。堀さまが書いておられるとおり、つい「自分が」「私が」と力んでしまいますねぇ。真面目な人であるほど「ねばならぬ」にひっかかります。

すべて神様がしてくださるから、楽ちんなんですよねぇ。
改めて気づかせていただきました、感謝です。
Commented by koujihori at 2010-04-09 21:20
シコク嫁様

 コメント有り難う御座いました。そうですね。楽ちんです。でも本当にここ数ヶ月、どうしてこうきわどい身が細る様な問題ばかり出てくるのか不思議です。でも、これも自分の中の実相が自ら出てくる為に過去の自分がそのための練習台を心の力で作っている結果なのですよね。神様に全託すれば良いのですね。ますますそうした自覚を深くさせていただいております。
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