全託について(2)

 どうして我(が)が出て来るかと言うとこの世界、この人生は我(が)が神の他に存在してその我(が)が生きているのであると何となく思っているからである。それで失敗しない様にしよう、上手くやろう、心のレンズの歪みを取ろう、恐怖しない様にしようとあくせくするのである。

しかし、我(が)はナイのである。実相のみが今ここに吾をして生きているのである。それが分かったらどうなろうと神に全託しようという気持ちに自ずとなるのである。何故ならばどうじたばたしようと我(が)など始めから存在せず、神がここに生きるのみであると分かるからである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-04-23 12:23 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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