天地一切のものと和解せよ

 「天地一切のものと和解せよ」とは真の信仰の事である。真の信仰には一分でも隙があったらいけないのである。この人とは和解出来るがあの人とは和解が出来ないというのではそれで全てが瓦解するのである。何故なら一即多であり、あの人とは全てであるからである。そして、天地一切のものとは神の事である。そして、それはたった一つの事でもあり、自分自身の事でもあるのである。
 神を生きるとは「天地一切のものと和解する」と言う事であり、それは全ての生きとし生けるものは完全円満であり、最高の善そのものであるという事である。しかし、その和解はこれから我(が)がこつこつと積み上げていくものではない。既に神の責任において成就しているのである。天地一切のものと和解するとは自分の中に普遍なる神を発見するという事であり、自分自身に還るという事であり、そのままでよいという事でもある。

堀 浩二
by koujihori | 2010-05-07 11:52 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 三谷文人 at 2010-05-09 22:05 x
 有難う御座居ます

 >真の信仰には一分でも隙があったらいけないのである。

 真理の厳しい一面ですよね。

 >既に神の責任において成就しているのである。

 自分の方から和解しょうとする努力は要らない、というのが救いですね。とても楽な気持ちになります。 
 天地一切から赦されている自分、天地一切から拝まれている自分、天地一切と一体であるところの自分を、ハイと素直に受けたい気持ちになります。
Commented by koujihori at 2010-05-09 23:04
三谷さん

 そうですね。これは一見厳しい様ですが神様が全部やって下さるのですから、「そのままでよい」と言う事なんですよね。
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