救われるということ

 真に救われるという事は罪とか悪が自分にあるままでそれを誰かに「勘弁してやる」とか言われる事であるとか、はたまた自分が過去の罪や間違いに対して慚愧の念を起こし、それを償う為に奔走するとか自分も全く、同じ様に傷つけられるとかして苦しむ事で償う事ではない。そのままで自分が一度も罪も悪も間違いも犯した事が無かったという実相に目覚める事である。

 悪はナイ。失敗はナイ。不調和はナイ。死もナイ。病もナイ。傷付け合う事もナイ。全て自分の心の歪みでそう見えていたに過ぎない。私は救われた。

堀 浩二
by koujihori | 2010-05-10 12:20 | 信仰 | Trackback | Comments(5)
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Commented by yuko at 2010-05-10 13:11 x
私も救われました
Commented by koujihori at 2010-05-10 13:25
yukoさん

 コメント有り難うございました。そう、言って頂けると冥利につきます。でも、四つも入ってましたよ。コメントが入らないと思ったのでしょう?これ承認制にしたんですよ。
Commented by yuko at 2010-05-10 16:19 x
久しぶりにコメントしたら、comments(0)なので、あきらめてました。そういうことだったんですね。四つも入ってるなんて恥ずかしい~ご迷惑おかけしました。
Commented by なおちやん at 2010-05-11 00:22 x
無いナイ尽くしですね
なおちやんだよ~ん
私もスクワレマシタ。実相が円満で完全DAKARAですね
Commented by koujihori at 2010-05-11 10:50
なおちゃん

 嬉しいコメント有り難うございました。ね、こういう良かった、嬉しいってコメントは相手に悦ばれるんですよ。
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