真理の把握

 文字でもって、「人間は神の子無限力である」と頭で理解しても何にもならぬ。そういう文字面にとらわれるのを教条主義又は原理主義というのである。文字面のみ知って真理を知れりと思い上がるなかれ。真に真理を知るとは命で知るという事である。それこそが真の真理の把握である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-05-15 12:42 | 信仰 | Trackback | Comments(5)
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Commented by ふじおか at 2010-05-15 22:33 x
信仰を理論だけに置き換えてはいけないですよね。

人間神の子を自覚して笑顔で感謝賛嘆の実践をされていらしゃる方を拝見すると信仰は頭で考えるものではないと感じます。
Commented by koujihori at 2010-05-15 22:45
ふじおかさん

 お久しぶりです。お元気ですか?仰る通り、信仰は実践であり、実体験ですね。頭だけでこねくり回してもどうにもなりません。生長の家は正にそれだと思います。日頃の愛行、実践を地道にされていれば自ずと現在の雅宣先生の展開されている運動は神意の展開であり、今の世界に取って、人類に取って必要な事と分かります。
Commented by 幕天居士 at 2010-05-25 14:12 x
 堀先生、お久しぶりです。理論だけで真理に到達する。たしかにこれは無理かも知れませんね。かなりいい線にはいけるとおもいますが、なんらかの行、あるいは体験をプラスしないことには、腹のそこから「わかった」とはならないでしょうね。

 ところでこの「理論」ですが、これは実相世界にはないんでしょうかね?もしかりに、実相世界に「完全な理論」というものがあって、その一部が現象世界にあらわれているのだとすれば、その一部の理論をたどることで「完全な理論」へと近づくことはできるようにおもいますが、どうなんでしょうね。

 世の中には、数学的にきわめて美しい形で表現されている理論がありますよね(たとえば有名なE=mc2など)。こうした理論は、悪用されて核兵器の開発に使われたという問題点はありますが、それでも、その美しさからいって、実相世界の「完全な理論」から導かれた可能性は否定できないような気がします。
Commented by 幕天居士 at 2010-05-25 14:13 x
 続きです。

 科学者たちは、この「完全な理論」を追い求めているようにもおもいますが、実相世界に「完全な理論」があると考えるのは、生長の家としてはかなりまずいことなんでしょうか。生長の家の人は、どちらかというと理論を毛嫌いする傾向があるようなので、ちょっと気になります。
Commented by koujihori at 2010-05-25 16:11
幕天居士様

 完全なる理論って、「理は神じゃ」という言葉もありますから、あるでしょうね。それを頭ではなくて命で把握する事が大事だと思います。命で把握するという事はそれを実践行する所から入らないとどうしても駄目でしょうね。でも、実践するだけでそれで足れりではないです。その実践する本体が我(が)ではどうしようもないです。吾が内の真理が真理するという境地まで行かないと本当に命で理を知るという事にならないでしょう。どうしたらそうなれるかって?それはやはり、努力精進するしかないでしょう。
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