形の教えと心の教え

 私は生長の家には入門編と奥義編と両方あると思う。思うではない。実際そうなのである。形の教えとは形から入って行くと言う事である。武道でもスポーツでも最初は教えられた通りの型とかフォームを反復練習して行く所から入り、その奧殿まで行くと自分の個性的なフォームとか型を自ら内側から編み出すが信仰も同じである。

 形の教えとは生長の家だったら、三正行即ち、聖典読誦、神想観、愛行を意識的にしっかりやって行く事である。こういう形から入らなくては入りようが無いのである。最初はそれで良いのである。しかし、その段階で何時までも留まっていてはならない。段々奧殿まで進み、形を自ら毀し、内側からの自ずからなる行をしていかなくてはならない。それが神が神する愛行であり、神想観である。それはどういう事かと言えば、内側に既にそのままで完全円満なる神の国、実相を見いだすという事である。実相世界は今ここにあるという事、自分は今、神であり、完全円満であると言う事を見いだす事である。そこから自ずからなる愛行が神想観が出て来る。それが生長の家の神髄であり、奧殿である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-05-24 12:25 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/11171189
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by なおちやん at 2010-05-24 17:51 x
正に[形から入って形から出よ]の格言と同じですな
Commented by koujihori at 2010-05-25 12:24
なおちゃん

 有り難うございます。シコク嫁さんからうちわを預かってますので今度の誌友会の時、お渡しします。
<< ここがこのまま神の国である。(3) 南泉斬猫 >>