生かされている(15)

 私は高校一年の時に初めて、生長の家の練成会を受けて、「思ったら思った通りになる」という唯心所現の法則を教えられてから、それから自分の心のコントロールに悩み、勉強が手につかなくなった経験がある。しかし、それはそもそも「自分が生きるのは自分が生きているのである」と思っていたからである。
 自分で生きているのではない。生長の家の招神歌にあるように「吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」である。自分が生きているのは自分が生きているのではない。神がここにありて生きているのである。
 自分で生きているという感覚が迷いであり、それが取り越し苦労になり、持ち越し苦労になり、それが不安や悩みになる。そして、それこそが自分の心をコントロールしなくてはならないという苦しみなのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-05-27 12:09 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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