生長の家とは何か(16)

 テニスでは最初は外側から指導者にああせい、こうせいと言われ、その通り、忠実に練習していくという所から入る。しかし、その内、自分の中に本当の打ち方、そのままで既に完成された打ち方がある事に気付き、その催しのままにやって行く様になるのである。
 
 生長の家でも最初は三正行という一種の型を外側から自分にはめて、行をやり、その他、生長の家の先生の指導通りの教えを受け、その通りの行をやって行く。しかし、その内、自分の中にこそ真理がある事に目覚め、そのままで良い事が分かり、内側からなるそのままの行をする様になるし、真理の会得も内側から自ずと出て来る。そうなった時、吾等は真に魂が解放されるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-05-31 12:30 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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