ナイと言葉で言えるもの、全てナイ。

 聖典「生命の実相」第二巻にこういう話がある。それは「鶏をぐっと抱きかかえて、自由の利かない様にして、そのまま地面に置いて、その目の前に白墨で地面に白線を引くと鶏はそれを自分を縛る縄と勘違いして、手を離した後もじっと身動き出来ないでいる。」と言うものである。

 如何なる偉大なものであっても自分の外に何かがアルと思ったら、人間はそれに縛られるのである。それが生長の家であってもである。かつて 「ナイと言葉で言えるもの全てナイ」と私の尊敬するA先生は私に薫陶を下さった。アルと思えばどうしてもそれに縛られるのである。美人を目の前にして、実力が発揮出来ないのも「美人がアル」と思っているからである。美人はナイ、それは現象に過ぎない。真に存在するものは吾が内の神の国のみである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-06-10 12:23 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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