生長の家とは何か(18)

 信仰の究極の極致は自分の中に神の国があるという事であり、それ即ち、自分の中に真理があるという事であるし、それが吾、神なりの自覚である。
 またそれ即ち自分の言葉、アイデアが神の言葉であり、真理であるという事である。それまでの外側からああせい、こうせいというのはその究極の境地への道しるべに過ぎない。

 しかし、その道しるべのままで留まり、道しるべが生長の家であると思っている人々の何と多い事よ。それこそ傲慢である。吾、神なりと認めないのが一番の傲慢であり、素直に吾、神なりの真理を受け取る者こそ、真の信仰者であり、謙虚である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-06-16 12:17 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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