祈り

 生長の家では二年に一回、生長の家総裁先生の講習会という行事がある。これは生長の家の信徒に取って最大の行事である。講習会のある教区では各組織に参加目標というのが与えられ、その組織に属する生長の家の信徒はその目標を達成する為の参加促進というのをやる。
 その際、よく言われるのが「祈って参加促進しよう」という事である。要するに仏教用語で「願無き行は仏の魔事なり」と言われる様にただ何の願いも祈りも無く、生長の家の講習会などの行事に他の人を誘うというのでは駄目でしっかりと「この講習会は神様の講習会でそこに行く人は必ず幸せになる」という願いを込めて参加対象者を誘うのである。それが無いのにただ数を上げる事を目的にする様なのは単なる運動屋の運動であって、こういうのは愛が無いから本当の愛行にならず、その内、挫折する。

 さて、ここで祈りとは何ぞやという事になるのである。それは「あいつは真理を知らないでくの坊であるから、一つこいつに有り難い生長の家の真理をつぎ込んで良くしてやるか」というものではないのである。真の祈りとは相手をそのままで既に救われている神であると拝み、尊敬する事である。そして、この世界は既に神様が充満した救われ済みの世界であり、今その世界にいて、自分は神から完全に生かされているのだという自覚である。

 そうした真の祈りのある所、そこに真の願が立つ。そうした悦びの波動のある所、「そんな悦べる所なら是非行きたい」という事で人が自然と集まって来るのである。そして、祈るというのは最高の愛行である。それはそのままで完全円満である相手の実相を観るという事であり、それこそ真の愛行である。そして、それは何もしないという事ではない。しばらくは何もしない事もあるかも知れないが、そうした真の祈りのある所、その内、必要な相手への働きかけは自分か又は他の誰かを通して神が為し給うのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-06-24 12:23 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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