そのままでよい(34)

 今、このままで大丈夫である。自分の不注意で転落してしまうような人生をあゆんでいるのではないのである。何故なら、この人生は自分で歩んでいるのではなくて神が歩んでいる神生であるからである。
 自分の不注意や心のコントロールの失敗で転落するかの様な人生はそれは「自分の人生は自分で歩んでいるのであって、神に導かれたものではない。ましては神が歩んでいるのではない」と思う自己の妄想がそう見せているのである。そういうのを今、ここ天国ではなくて天国に至るまでは自分は注意に注意を重ねて天国への階段を踏み外さない様にするのだと思っている考えであり、そういう信仰を持っている人は天国の門の直前で天国への階段を踏み外して落下するのである。
 それは心の法則が働いて、「自分はまだ天国にいない。自分の努力で天国にこれから入るのだ」と思っていればその「天国に今自分はいない」という想念の通り、天国から追い出されたり、天国への階段を踏み外して転落するのである。
 しかし、転落したのも本当に転落したのではない。それは転落したという夢を見ているに過ぎない。転落した様でもそのままで天国にいる。それが実相である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-06-25 12:16 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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