一切の責任は吾が内にあり

 我らは自分以外に原因を求めてはならないのである。自分以外に何か自分を不幸にしうる存在があると思ってはならないのである。吾と吾の展開以外に何も無し。

 一切は吾が内にあり。神の国は吾が内にのみあり。吾等の実相が展開するのも吾以外の何者かにより、外側から形成されたと思うのは迷いである。吾等の実相が展開するのは吾等の内なる実相そのものの展開以外あり得ないのである。神の国は吾が内にのみあるからである。吾等の実相が真に顕現し、救われるのは吾等の実相が自分で出て来る以外、あり得ない。その展開が現象的には偉大な師の導きとなって現れ、吾等がそれに導かれ救われるという事になるのである。自分と離れた外側から偶然運良く救われている様に見えるがそれは決してそうではない。吾等の内に全てがあり、それが自分で展開して来て救われるのである。
 
 そうでないと自分はその外のものに対して、終生依存し、借りを返し続けなくてはならないという負い目を感じ続けなくてはならないのである。それは神の子の自覚ではない。神の子の自覚は神の自覚である。それはなにものにも依存せず、頼らず、そのままで自立し得ると言う自覚である。それは吾と吾の展開以外一切無しの自覚である。その自覚の中に真に師に対する、親に対する、先祖に対する満腔の感謝が出て来る。そこにこそ内側からの悦びの報恩感謝の心と行いが出て来る。何故ならば一切は吾が内の神の国において一体であるからである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-09-10 07:04 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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