外はナイ(2)

 自分と離れた自分以外のものに救われるという事は実はあり得ないのである。その救ってくれた相手が如何に偉大な存在であっても。自分以外に何か偉大な存在があるという事であるならば、自分の中に神は無いという事になる。そこに真の神への感謝など無いのである。そして、もし、自分とは別物の自分以外のものに良くしてもらった、救われたという事になるならば、その自分以外のものへ吾等は屈従する事になってしまうのである。

 自分以外の外部から駄目な自分が救われた、良くしてもらったという考えは元々完全円満の神が自分の中にあり、そのままで万物を生かしているという信仰とは違う。今のそのままの自分が不完全だから、外部から良くしようという考えであり、それは完全円満、普遍なる実相独在の信仰ではない。そして、そこには真の感謝も無い。
 感謝とは無条件に内側から宇宙普遍の神に生かされていたという感動そのものであるからである。だが現象的には師に救われる事も友人その他の人から救われる事がある。それは自分以外のものに外側から救われた様に見えるが実は自分の内なる神の展開としてそう見えているだけである。それが分かった時、真に、その救ってくれた師や友人に感謝が出来るのである。

堀 浩二
by koujihori | 2010-10-01 21:33 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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