生長の家落第?

 生長の家には生長の家の生き方がある。それは「取り越し苦労するな」「朝の時間を生かせ」「人の生命の実相を礼拝せよ」等々。
 しかし、ある人が言っていたが「分かっちゃいるけど出来ない」って言う現状がある。又、感謝が足りないとかと言って、それで他人を審く人もいる。恐怖してはいけない、恐怖すると力が出ないし、病気は治らないし、恐怖した事が出て来てしまうからと言われても恐怖してしまうのである。

 そうなると恐怖せず、常に大安心で感謝も出来るという人は良いが自分が元々生まれつきのトラウマとかがあって、恐怖心が人一倍強い人などは恐怖すまいと努力しても恐怖心が克服出来ず、従って、運命も健康状態も良くならないし、能力も発揮出来ないなんて事になる。そこに「ああ、生長の家の真理や生き方は素晴らしいが自分の様な弱い心の人間にはとても無理だ。自分は生長の家の落伍者だ」なんて事にもなりかねないのである。

 しかし、こんな事が生長の家であろうか?否々、そうではない。人間は根っから元々恐怖心の強い人間などいないのである。それなら何故現実的に勇敢な性格の人と臆病で恐怖しやすい人との差があるかと言ったら、その臆病で恐怖心の強い人というのは元々恐怖心が強いのでも無ければ、生長の家の生き方の落伍者でもない。その人の本質は大安心そのものであって、勇敢そのものであって、まだ時期が到来せずしてその人の勇敢で大胆、大安心の実相が出て来ていないだけなのである。恐怖心と言うのは一種の迷いであるから、迷いは悟りの基礎工事であるから、恐怖心が強いのは大安心であるその人の実相が出て来る基礎工事期間である。

堀 浩二
by koujihori | 2010-10-08 13:24 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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