現象は不完全である。

 生長の家の教えは実相と現象を明確に区別しますね。実相は完全円満でそこに住む人は皆、無限力でいい人ばかりだが、現象は吾々人間の念の歪みにより完全なものとしては現れていないと。

 これ、頭で分かっていても中々実生活だと分かるのは困難ですね。僕は昔から理想が高いので自分の仕事にも趣味にもそして人に対しても理想を求める所がかなり強いです。それって苦しみになります。所謂完全主義ってものです。これ特に人に対して、相手が理不尽な事をしていると「赦せん」って感情になります。
 適当にこの位でいいわとお茶を濁せば悩みとか苦しみとか憎しみは生じませんが完璧を求めると現実とのギャップに苦しみますね。

 ところで僕は家族、会社、地域、趣味の仲間、そして今回は大学時代のクラブのOBの先輩後輩ともつきあいが出来て色々つきあいがありますが、僕は人と付き合っててその人の嫌な部分、不完全な部分が分かって来る事があります。そうなると「あ!この人嫌な人だ。」って思ってしまうのです。でもこれって理想即ち神とか神の国を現象に求めるからですね。

 これは聖経「甘露の法雨」に説かれていて散々読ませて頂いた「神の国は内にのみあり。外にこれを求めるものは永遠にこれを得る事能わず」って事だと思います。理想を外の世界即ち現象に求めるのは間違いだって事ですね。理想は現象に求めるのではなくて内なる実相世界にあると自覚する事が大事だって事です。

 現象世界ではどんな聖人でも「無くて七癖」と言われている様に何らかの不完全な部分があるのです。要するに現象は不完全と思って、目に映る人が不完全で嫌な部分があるからと言ってその人に絶望せず、その人の実相を観て、現象は自分の心の歪みが映っているだけだと思って否定する事が大事ですね。

堀 浩二
by koujihori | 2010-10-27 10:53 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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