生長の家の神の運動の現代的展開について

※以下は生長の家のポスティングジョイに投稿した私の文章である。それをそのまま掲載する事とする。

 今度の土曜日、僕はある相愛会誌友会に出講させて頂きますので昨日の夜、その準備をしてました。今回のテーマは「四無量心を生きる」で副題は「自然と共に伸びる」です。
 これは現在、生長の家が一番ウェートを掛けて、取り組んでいる自然保護運動の事ですが、昨日の勉強で気付いた事は本当にとてつもない事でした。それがそうと分かったのは昨日ではなくて、今朝、目が覚めて布団の中でぼーっとしている時でした。
 残念な事に昔、生長の家だった人が現在の生長の家の運動、主に環境保護運動に対して反発して、別派を作ったりしていますが、これはとても間違った事であると再認識しました。生長の家は単に世間一般と同様の環境保護運動にうつつを抜かしているのではなくて、それは神様の運動の現代的現れであると実感しました。
 というのはもちろん、現在これだけの環境破壊、温暖化が進んでいるのは喫緊の問題ですがこれって同時に吾々人類の根本的生き方が本来のものにならないとどうにもならないって所まで来てるのだと思います。それは正に自然に対する四無量心の実践が今こそ大事だって事ですね。

 それは自然を真に愛するって事ですがその根本って吾々人類が自然要するに神に生かされていると言う事を十分、認識する事ですね。
 その事を忘れて、自分を肉体と考えて我(が)で幸福とか永遠の生命を得ようとしているのが間違いでこんな事を継続していれば人類は不幸になるって瀬戸際で人間の真の生命が神に、大自然に生かされている神の生命であるという信仰を現代に運動として展開させていくって事が大事だと言う事ですね。
 それが現在の生長の家の運動であると言う事だと思います。

 自然に生かされている事を忘れ、自然をおのれの目先の利益とか便利さの故に排除して行く都会の生活の中で頭脳が左脳偏重の「ああせねばならぬ」「こうしなくてはならぬ」と理屈で考えて行って、今を味わって生きる事を忘れて行く中で精神の病とかが出て来ている世間の流れがありますが、これに対しても大なる救いをもたらす運動であると思います。

 意味より感覚を優先する右脳的生き方というのが生長の家で提唱されているのも今を十分味わって、自然の現象を感覚で良く捉えてゆっくり生きていく中で現象の奧にある実相即ち神を十分感じ、その中でこそ精神の安定が育まれていくって事ですね。

 これらの生長の家の現代の展開が如何に現代人に取って重要かという事を僕は誌友会の出講の勉強をしている中で気付く事が出来ました。

堀 浩二
by koujihori | 2010-11-05 09:35 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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