差別について

 前回の文章で差別というものがロンドンの自爆テロの一つの要因になっているのではないかという事を書いた。
 そして、日本は欧米ほど差別のない社会であるということも書いた。しかし、厳密に言えば、この日本にも差別はある。日本には人種差別というものは単一民族なだけに存在しないが部落差別と言われるものはあるにはある。
 また、階級闘争というのもこの日本にはなくはないのである。要するにマルキシストの言う、資本家階級、労働者階級という階級が存在しており、その間には階級闘争というものがあり、資本家は労働者を出来るだけ搾取しようとしているという世界観である。

 どうしてそういう差別心や階級闘争世界観が出て来るかと言えば、人間にはこの現象世界を生活する為に必要な五官というものが備わっているからである。要するにこの世界で生活、活動する為にはこの世界の事物から発生する波動を感受して、それを神経系統で伝達して脳でそれを実際にその事物がそこに具体的に存在するというイメージを得させる為にそうした五官の感覚器官が人間には備わっているのであり、その五官があるおかげで我々はこの現象世界が本当に存在する世界であると認識して生活出来るのである。

 しかし、その五官だけに頼って生きていれば、この世界が現象的にある通りの世界であるとしか認識出来ないからこの世界がお互いバラバラに対立した世界であると認識せざるを得ない。そこにこの世界は階級同士の闘争があるとか、人種間の差別があるという対立思想が生ずるのである。

 話が大部難解になって来たが、要するにこの世界は映しの世界であり、本当に実在する世界は霊的世界としてこの現象世界の奥というか内側というかそういう所に存在するのであり、それは五官を超えた直感力でもって認識するしかないのである。
 しかるにそうした直感力を信ぜず、従ってそれを使うことのない人は五官の感覚器官しか使うことを知らないからこの映しの世界である現象世界しか存在しないと思いこむ。そして、そう思っている人はこの現象世界というのは表面的に見れば、お互いバラバラに相対的に各自が存在する世界にしか見えないから自分の喜びは他人の喜びでない、他人の悲しみは自分の悲しみでないというお互い利害が対立する所の闘争世界がこの世界であると見るより仕方がない。
 そうした世界観を持つ人が人種差別とか階級間同士の闘争を作り出すのである。

 だから、我々はこの世界に住んでいる限り、いつかはこの差別とかを受けるかも知れないし、階級闘争の渦に巻き込まれて悩むことがあるかも知れない。
 しかし、そういう時は毅然としていなければならない。相手が自分を差別すると言って、嘆いてはならないし、それに怒って仕返ししたりなんかしてはならないのである。我々はそういう時こそ自分の受けている境遇とかをものともせずに積極的によいことを、そして自分の使命と感じることをやって行かなくてはならない。
 先日亡くなった歌手のレイ・チャールズや名前は忘れたが黒人で初めて潜水夫となった人などアメリカではひどい人種差別を受けてもへこたれないで立派な業績を残した黒人の人達の話がいくつかある。
 
 彼らは人種差別を受けたにもかかわらず、へこたれないでおのれの天分をまっとうした人達である。そんな彼らを白人達は最後には諸手を挙げて賞賛したのである。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-07-19 18:08 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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