悟りにさえとらわれてはならぬ

 我々の実相は完全円満、無限力の神の生命である。そして我々の人生はその実相を悟り、顕現させるのが目的である。我々の人生はその為の一つの学校になっており、我々は何回も生まれ変わって、その自己の完全円満の生命の実相の自覚、悟りを深めて行くのである。
 そして、様々な経験、過程を経て、遂に自分の「そのままで完全円満」の生命の実相を悟る事になる。そして、それ以降はその悟りがどんどん深まり、顕現して行く。その中で「悟った。自分はそのままで完全円満であった。」と分かる時が来る。しかし、その悟りにもとらわれてはならないのである。我々の生命の実相は無限のものであり、それは一つの所にとどまらず、無限生長するものである。しかし、現象は有限であり、一定のものである。悟りであっても現象に出て来たものは有限である。だから、それにとらわれてはならないのである。自分はそのままで完全円満の神の生命であるという悟りが現象に出て来た。しかし、それに有頂天になっていてはそれではその悟りが現象に出て来る前の自分は素晴らしくないのか、神ではなかったのかというとそんな事は無いのである。悟りが出る前の自分も神の生命で完全円満であったのである。だから、悟りであってさえもそれが現象として出て来たものにはとらわれてはならない。

堀 浩二
by koujihori | 2011-04-30 09:42 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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