確認してはならない。

 「神を試すなかれ」という言葉がある。自分が大丈夫かどうか自分の信仰が現象を良化しているか確認しようとする人がたまにあるがそれは不信仰の極みである。自分が今完全円満の神であるならばその証拠を現象に求める必要がどこにあろうか?それはそのままで完全円満の自己の内なる神を疑う事である。

堀 浩二
by koujihori | 2011-05-01 18:16 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by しん at 2011-05-29 04:05 x
現象まみれの自分のときは 確認してこそ、、大人ですよ。

理想としての完全円満はあっても現実の完全円満などないのですから、、、勘違いの完全円満がほとんどです。
人間はその程度、、と知ることが、、悟りの道への一歩です。

あ、、わたし、、ほんとにこう言って、、生長の家で抹殺されましたw

神を一旦は疑う事ではじめて神がわかる、、
などとかっこいい言葉もありますよ。
Commented by koujihori at 2011-05-30 08:58
しんさん

 コメント有り難うございます。確認するしないの言葉に引っ掛かるとわかりにくいと思います。私だって日常で確認する事は沢山あります。仕事でお部下の仕事が間違ってないかチェックするのは上司の大事な仕事だし。また、神想観は内なる神を確認する事であるとも言われてますね。そういう意味の確認なら大いにすべしです。
 本文にも書きましたがここで使っている確認というのは「神を試すなかれ」という意味での確認です。現象まみれと仰いましたが現象はナイというのが教えであり、今ここ神の国であるというのが真理です。その神の国を疑う様な確認はしてはならないという意味です。
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