一切の責任は吾が内にあり(3)

 「一切の責任は吾が内にあり」とは生長の家の教えの一つである。が、しかし、それは全てを自分の我(が)の力で完璧にしなくてはいけないという意味ではない。一切は自分の心の影であるという意味である。
 何事か本来でない不調和な不幸な現象が現れているならば、それはひとえに自分一人の心に歪みがあるという事であり、自分一人が「既に神によりそのままで完全円満とされている世界」を観られていないという事であり、その事が罪であると言うのである。
 自分が一切を完全にやらなくてはならない、自分のやり方が不完全でまずかったから他の人に迷惑を掛けた、不幸にしたという意味ではない。もし、そんな事を考えている人がいるとしたらそれは途轍もない傲慢である。

堀 浩二
by koujihori | 2011-08-19 12:12 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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