般若の智恵に目覚めなくてはならぬ。

 般若の智恵と言うのは内側から自由自在に沸き起こって来る本当の智恵の事である。これに目覚めないとどうにもならないのである。そうでないとその相手がどんなに偉大なお方であろうと「誰々先生はこう仰った。」という言葉尻にとらわれてしまう事になるからである。そうなったらその時点でその人は奴隷と堕してしまうのである。生長の家の教えはそんなものではない。
 真理の言葉というのは有限なものであって、Aという表現とBという表現が言葉尻だけ見るとまるで反対の事を言っている事があるのである。コーランには「敵を見つけたら叩き殺せ」という言葉もあり、その他には寛容の徳を説いた部分は沢山あるとの事である。
 聖典にこう書いてあるからこうだと思うのはその言葉にとらわれている、言うなれば奴隷みたいなものである。真の信仰に目覚める為には般若の智恵に目覚めなくてはならないのである。それは表現された言葉以前の真理そのものからその時、その場、その相手に応じて自由自在に出て来る智恵であるのである。それを発見するのが真の信仰であり、それが本当の生長の家であるのである。それは必ずあるし、それを必ず発見する事が出来るのである。それは何かと言ったら吾々の中にある「実相」であるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2011-12-06 12:17 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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