行動は結果である。

 家庭内の内輪の話で恥ずかしいが先日、家内と大喧嘩した。喧嘩というよりも今回は私が一方的に怒り狂ったのである。原因はプライベートな事なのでここでは披露出来ない。要するに家内が私の言う通りにしてくれなかったのである。

 私は余り感情を爆発させて怒ると却ってストレスが溜まるということを知っているからなるべく怒らない様にしている。会社でも以前ほど怒らなくなって来ている。
 でも家庭内だと気持ちがゆるんだのか今回は恥ずかしながら、尋常ではないほど怒りまくってしまったのである。さすがに家内相手に手を出したり、ものをこわすという所までは行かなかったが。

 私は精神は安静にして心を整える事を心掛けているが、その時の怒り爆発でそれまでのコツコツとした努力が全て吹っ飛んだ。
 それは夜遅くであったのでその後、興奮が収まらず、中々寝付けなかった。テレビを見ながら、午前2時過ぎまで起きていたが、その後、床についても眠れず、その日は殆ど眠れなかった。
 
 私は最初ちょっと後悔した。せっかく今まで精神と頭脳をコントロールして来たのにこんな事をしてしまったと思ったのである。しかし、確かキリストのお言葉だったと思うが、「行動は結果である。」という言葉を思い出したのである。
 人間の運命、その時何を行動するかということは実はその以前に心の世界で既に原型が出来ているのである。心の世界で怒りが溜まり、それを爆発させるという運命が既に出来上がっているならば、それが実際、怒り狂うという結果が出て来ざるを得ないのである。そして、出て来て、実現することで心の世界にあったものが消えてなくなるのである。
 だから、バカなことをしてしまった、罪を犯してしまったということを余り、くよくよ後からくやまない方がよいのである。それはその時の自分が不注意だったのではなく、元々心の世界にあったものが出て来たに過ぎないからである。
 よく、行動を重ねて行くことが心の世界に業として蓄積して行くという事を聞くが逆に、ある行動をしてしまうという事は心の世界にあったその行動の原型(業)の実現したもの、結果であるということも言えるのである。

 その様にあるバカな行動をしてしまう、罪を犯してしまうということも今までの悪業が消える姿、結果であるからそれが出て来たらああこれで悪業が消えたと思って、次からはそんなバカなことをしないと反省して、それ以上はその愚かな行動を犯した自分を責めすぎないでいるがよいのである。
 それなのに自分はこういう罪を犯してしまったといつまでもその過ぎた事に心を引っ掛からせ、ちまちま悩み、後悔し続けるならば、また心の世界にそうしたバカな事をするという業を作る事になり、またそれがいつかは爆発して同じ様な過ちを犯してしまう事にもなるのであり、そこでまた悩むとまたその行動の業を作ることになり、そうなるとそれが果てしもない悪循環になってしまうのである。それを業の流転というのである。

 そして、こうしたトラブルがあった時は出て来たトラブルが何を自分に教えてくれているかということを冷静に考えるがよいのである。
 相手は自分の心の影であるから自分を憤慨させるような事をする相手というのは自分の心の姿を映しているのであり、自分もかつて誰かに同じ様な憤慨させる事をしたに違いないのである。今回は相手がそうした自分の姿を演じてくれる事により、如実に相手が自分の至らない点を教えてくれたのだと思って相手を悪い人間だと思わないで感謝すればよいのである。
 そして、後は神様に全託すればよいのである。そうしたら悪業の流転は消え、問題は解決し、更にお互いの人格が向上し、我々の完全円満の実相がより顕現するのである。

 家内と喧嘩したのが3日前であるが今はすっかり、よりお互いの絆が深くなった気がする。

 堀 浩二
by koujihori | 2005-08-17 22:27 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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