自分が神である。(7)

 「同志を集める為の祈り」に「神が私なのである」という一節が出てきますが、正にその通りなのです。これそう祈るからそうなるのじゃない。そうだからそう祈っているのです。
 で、人間、人生行路を行く上で「どうしたら良いか」という決断を迫られる事がある。また困難に際して、「どうして良いか分からない」という場合があるのである。そうした場合、自分の中に神を見いださないものは他の人に「相談する」又は「すがる」という事をする。でも、そんな他者にすがっていたのでは結局どうにもならない。聖典、「生命の実相」にも書かれているが「あなたは明日、道を歩くにもどの辺りを歩いたら良いか、どの方角へ歩くべきか、いちいち、占い師だとかに尋ねますか?そんな事は出来ますまい。それならあなたは自分の中に全知全能の神を見いだし、自分の一挙手一投足の判断をその神に求めたくはありませんか?」という記述が出てくるが正にその通りで「自分が神である。自分の中に全知全能の神がいらっしゃる」という自覚に立たないと人間は根本的に救われる事は無い。 
 生長の家の人であっても「自分はまだ駄目だ。だからこの問題に関しては◎◎先生に頼ろう」なんて考えている内は駄目である。生長の家の生き方、生活の仕方に関しても教科書通りにやっていれば良いというものではない。その場その場に応じて臨機応変に内側からの導きに従って縦横無尽に展開して行かないと行き詰まるのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-06-10 11:20 | 信仰 | Trackback | Comments(2)
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Commented by yukio aono at 2012-06-11 16:32 x
 合掌  ありがとうございます。           真理を求めて。
ご無沙汰しております。ポスティング・ジョイ 共々 拝見させて頂いております。
いつも悦びを一杯いただき ありがとうございます。
 ブログを見ているとき、又 聖典を読んでいるときはいいのですが、やめると、
すぐに、心は普段の生活に戻ってしまってしまいます。
 聖典の中にあります「常に」の文字が、又 不易流行と云う言葉を耳にして近頃の気になるものとなっています。
実相と現象、否定と肯定、真象と偽象、煩悩即菩提、分からないことだらけです。
 堀 先生の「そのままでよい」 「全て神におまかせ」 「実相は自分で出て来る」
の言葉は直ぐ出て来るようになりました。
谷口 雅春 尊師の言葉           新版 叡智の断片 039頁
『不言にして多言、多言にして不言。真理は無にして有、有にして無。説いて説かず。
聴き方上手。読み方上手 が必要である。』あれ私は何を求めているのか、
しかし、堀 先生のブログで 常に導かれていることに感謝しています。
 ありがとうございます。             敬礼


Commented by koujihori at 2012-06-11 19:02
aono様、いつも暖かいコメント有り難うございます。真理は自分と一体であるので「そのままでよい」と思います。普段の生活の自分もそのまま真理の展開であると信じます。
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