実相は自分で出てくる。(47)

 私はやっと母の死が肯定的にとらえられる様になって来たのである。母は先月7月5日に他界したがそれは癌によるものであったのではないか、その癌のストレスの原因を作ったのは自分ではないのかと多少悶々としていたし、又、何と言ってもこの上なく愛する母がこの世から消えたという事が正直言って悲しくて悲しくて仕方が無かった。
 しかし、それらは全て、実相の展開であったと今はっきり分かるのである。人の死は教化の意味があると言うが私は母の他界でどれだけの教訓と魂的生長を得られたか分からないのである。一つには会社やその他の人達に笑顔で接する事が出来る様になれた。そして、今回母が倒れた事により父の認知症がひどいものになり、いったん途方に暮れたがその事によりそれは全て自分の心を映す観世音菩薩様であると分かったのである。
 そして、父が攻撃的、凶暴になるのは正に自分の姿であると感じ入り、私は自己の心的態度、言動、そして態度を心から反省する事により、私の本来穏やかな実相が自分で出てきたのである。それと同時に父が本来、神の子で優しい理解ある人間であるという事も実感出来たのである。父は今では私の認識通り、好々爺になり、そして最近、よくものも憶えられている様であり頭もしっかりして来た様子なのである。
 これらの事は母が倒れた事それに続く逝去が無かったら到底、実現する事ではなかったのである。それは正に「実相が自分で出てきた」事であり、今回の母の逝去は不幸な事でも何でもないのである。そして、母の魂は個性を保ったまま霊魂として今後、霊界で生き生きと営みを続け、母の更なる飛躍へのステップにつながっているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2012-08-10 22:47 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
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