罪は赦される(2)

 幸福をつかもうとすると幸福は逃げて行く。我々はただ神に生かされているのである。今、生かされている事を悦ぶべし。
 我々は今、神に祝福されて、生かされているのである。それを正に認めるべし。自分はまだ、そんな資格は無いなんて謙遜、遠慮するなかれ。そんな謙遜は却って、神に対する冒涜である。神は罪を全部、赦して下さっているのである。
 
 心の底から腐った悪党は別として、善人と言われる人の中には自分はあの時、こんな罪を犯した、あんな悪いことをしたと思って、自分を責め続ける人がいるのである。
 そして、こんな罪を犯した罪深い自分は到底神に赦される資格がないと思っているのである。そして、自力で何とか罪を消そう、贖おうとして、潜在意識で自己処罰して自分を病気にしたり、悲惨な事故に遭遇させたりするのである。
 
 しかし、現象の奥の神に作られたそのままの世界において、罪は神が全部、消して下さっているのである。何故なら神は全宇宙に拡がる無限の光そのものであるから罪という闇を一瞬の内に悉く、焼き尽くしてしまうからである。
 だから、現象的に我らにどんな罪が見えていようともその奥の本当の世界、実相においては罪は神により消されている。

 この現象世界は我々の心、認識が映っている世界であるから、現象の奥の本来の世界、実相世界には罪や悪がないのにそれを心の眼で観ないで、現象だけ見ておれば、罪がある、悪があると認識するその心が映って現象に色々の罪や悪の映像が出て来るのである。
 そして、それを実在する世界だと思うように我々の脳髄は作られているのであるから、自分も他人も過去においてあんな罪を犯した、こんな悪いことをしたと心で握っているのである。

 本来の世界では全ての罪が赦されて、罪人なんて自分を含めて誰もいないのに自分は罪を犯した、あいつも罪を犯した、こんな罪深い者は到底、神に赦される資格なんてないんだと思い、そうである以上は自力で何とか幸福をつかもう、罪を消そうと色々焦って、努力するのであるが、いくらやってもその元々、罪がある、罪ある者は罰せられなければならないという認識通り、自分を不幸にして行くのである。

 そうではなくて、神により全ての罪が消されて、神に生かされ、祝福され、完全に幸福にして頂いているのが正に本当に自分であり、それは今、ここにあるのである。それが本当の姿、実相であるのに自分はそんな資格はない、自分は神に赦される存在じゃない、罪はある、悪はあるなんていうのは神の宇宙に拡がる無限の完全円満さを疑い、それを拒絶するというこの上ない傲慢さがあるのである。

 それは借金を借り主から帳消しにして上げると言われているのに、その好意を受けないでいつまでも借金が返せていない自分を責め続け、病気になる人と似ている。

堀 浩二
by koujihori | 2005-08-30 12:25 | 信仰 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://joyfulness.exblog.jp/tb/1665336
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< 天分を生きる 人を赦すこと >>