信仰について

 私は先日、会社である失敗をしてしまった。
 それはこういうことである。休日である土曜日に会社のキュービクル(受電設備)の管理業者がキュービクル点検の為に夕方4~5時までの一時間、会社の全電源を停電させるということになっており、私はそれを担当者として事前に承知していた。
 しかし、停電したら会社の全パソコンのデータが保存されているサーバーも電源が落ちてしまうことを失念していたので、停電の前日の金曜日に停電に備えて、適切にサーバーの電源を落としておくのを忘れて帰ってしまったのである。

 サーバーは常時、電源が入っているものであり、それが停電になれば電源が落ちる訳だが、正しい手順で電源を落とすならともかく、停電のような乱暴な電源の落ち方をするとそれが元でサーバーに蓄えられた全データが消失してしまう可能性もなくはないのである。
 それが分かったのが停電予定の土曜日の夜、自宅でくつろいでいた時であり、それは既にもう会社で停電の処置が取られた後であった。
 私は焦った。もしかしたら最悪の場合、私のミスでこの何十年の会社の技術的情報その他の大事な情報がパーになっているかも知れないからである。サーバーのデータは毎日、自動バックアップで保存されているのであり、また、停電で電源が落ちたからと言って、サーバー内のデータがそう簡単に駄目にはならないだろうとは思ったが、それでも最悪の事態が頭をかすめ、恐怖心が出て来た。
 私は居ても立ってもいられなくなり、会社のサーバーが大丈夫かどうか今すぐにでも会社に行って確認したい衝動に駆られたのである。しかし、私は思いとどまった。そんな風に自分が安心する為に自分の外に安心する為の証拠を求めるという行為は間違っていると思ったからである。
 
 本当の信仰は全ての全てが自分の中にあるという事を信じ、その通り実行することであり、自分が不安だからと言って、自分が安心する為の証拠を外に求めるようではいけないのである。  私は全てを神様にお任せし、自分と会社に取って、悪いことは断じて起こらないという信念を持ち直し、土日はそのままにして他のやるべきことをずんずん進めていった。
 そして月曜日の朝、会社に来てみたら、問題のサーバーは電源が入り、何の異常もなく正常に稼働し、大切なデータも無事であった。電源は日曜出勤していたある社員の人が適切に入れ直してくれたということである。

 信仰している人の中には普段は私は神を信じていますとか言っておきながら、いざという時はそんな信仰は全て吹っ飛んでしまって、狼狽する人がいるが、それは自分の中に神の国があるという事を忘れた信仰であるからなのである。尊い頼るべきものは自分の外にあると思い、それにすがるような信仰だから、何か大変な事態に陥った場合、自分に自信を持つことが出来ず、自分の外に救いを求めて、狼狽するのである。

 本当の信仰は自分の中に全ての全てがあり、神の国があり、他に何ものも頼る必要はないというものである。そういう信仰であれば、この世界は自分の認識が映っている世界であるから、その自分の確固とした信念が外界にも反映し、トラブルの起こらない全てが行き届いた平和で安定した世界が展開するのである。
 生長の家の信仰が実はそういうものであって、生長の家では人間は一人一人が神の子であって、それが完全円満の素晴らしい生命であると説き、それを礼拝するのである。だから生長の家では特にご本尊なんてものはなく、あるとすればそれは我々人間一人一人の中にあると説くのである。だから、生長の家での挨拶は「有り難う御座います」であり、それはお互いの尊い生命の実相こそが拝む対象であるということを意味しているのである。

堀 浩二
by koujihori | 2005-09-05 12:18 | 信仰 | Trackback | Comments(3)
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Commented at 2005-09-07 09:14 x
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Commented by koujihori at 2005-09-07 13:06
コメント有り難うございます。
 よく誤解されるのですが、神様に全託してそのままにするということを何もしないことと勘違いされる方がおられますが、そうではありません。神にお任せしてそのままを生きるということは、我(が)が恐怖心を元に行動することなしに我が内の神が取り越し苦労でなくて何となくしたくなることをそのままの自然の催しで行うというものです。
 だから、私は自分の中のそのままの神の催しで出て来ることあればそれを実行するようにしています。

 今回の状況ではそのままにしておくということが私の中の神のそのままの催しに従うことと判断したのでそうしました。
 
 堀 浩二
Commented at 2005-09-08 00:39 x
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