自分の人生そのまま神の生である。

 吾々は自分の人生を振り返るに顔から火が出るほど恥ずかしい思い出、慚愧に堪えない過去があるのである。そして、出来れば過去に戻ってやりなおしたいとか考えるものである。
 
 しかし、その必要は一切無いのである。何故なら、吾々は神の子であり、神の子は神であるからである。吾々は自分で生きていると思っているかも知れないが実は神に生かされているのである。即ち、自分をして神がここに生きているのである。従って、自分の人生は自分が生きて来たのではない。神が生きてきた神の生である。それが実相なのである。それは表面的には短期的には失敗みたいに見えるものは沢山あるであろう。しかし、それは一つ一つが実相顕現の大事な過程である。だから、人生は近視眼的に短期的に見ると悲劇、長期的に見れば喜劇と言われるのである。

 後悔するというのは自分で自分の人生を生きているという錯覚から来る迷いである。反省するというのはより実相が出て来て、それまでの自分が間違っていたと分かるもので実相顕現の事であり、内側からの解放である。

堀 浩二
by koujihori | 2012-11-21 12:55 | 信仰 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 匿名 at 2012-11-23 13:56 x
なぜ最近postingjoyに投稿がないのですか?
Commented by koujihori at 2012-11-25 21:42
 ポスティングジョイも良いのですが最近はもっぱらフェイスブックに投稿しています。ポスティングジョイは匿名であり、誰でも入り込めるのでちょっと危険だと思います。
Commented by koujihori at 2012-11-25 21:48
ポスティングジョイの良い所は光明面を日常生活で見つけ出してそれをアップする事で日時計主義につながる生き方が出来るという事です。それと多くの生長の家の仲間と交流が出来るし、お互いに良い影響も与え合えるという所ですね。
 私はFBで良い事があったらアップしてますが逆に社会問題提起、政治の事、原発の事、色々な事で意見表明しています。それは光明面のみとは限らない。でも、私は自由に色々な分野に色々な意見を表明して行きたいのでフェイスブックに投稿するのです。
 また、ポスティングジョイは生長の家の仲間同士の仲良しクラブの様なものだとも言えます。ともすればネットを通じた伝道という目的からは外れる。
 フェイスブックは生長の家の人以外に学校時代の友人関係、親戚等の人達に対して色々な働きかけが出来る。
 
Commented by 匿名 at 2012-11-26 18:57 x
納得しました。またよろしければ質問させてください。
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